コラム:大崎清夏 スクリーンに詩を見つけたら - 第1回

2022年1月17日更新

大崎清夏 スクリーンに詩を見つけたら

古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。(題字・イラスト:山手澄香)

今回のテーマは、第93回アカデミー賞の作品、監督、主演女優賞の3部門を受賞した「ノマドランド」(クロエ・ジャオ監督)です。


第1回:モハヴェ砂漠のシェイクスピア――「ノマドランド

「ノマドランド」
「ノマドランド」

なんて粋にシェイクスピアの詩を使う映画だろう。

現代アメリカの貧困と車上生活を真正面から描いて、どのシーンにも西部の乾いた風が吹いているような映画の中で、まさかシェイクスピアの詩に出会うとは思わなかった。あの詩に、こんなに痺れてしまう日がくるとは思わなかった。

ネバダにあるひとつの工場町の住所が抹消されるところから、映画は始まる。フランシス・マクドーマンド演じる主人公ファーンは、資本主義の暴力――砂漠のように広がるAmazonの巨大倉庫、天まで届きそうなじゃがいもの山、観光客がありえないほど汚していく店のトイレ――も、自然の暴力――氷点下の気温、迷路のような岩山、荒い波飛沫が送りこむ潮風――も、甘んじて晒した肌身に受けとめる。それらの暴力は、観ているこちらの頬までカットごとにぴしゃっと叩いてくるような鮮明さで描かれる。

けれども彼女の身に降りかかる最大の暴力は、忘却の暴力だ。愛する夫ボーが働いた町が町ごとなくなり、ボーはすでに亡く、コミュニティは散り散りになってゆく。自分の記憶の中にしか残っていないものばかりが増えてゆく。

自分自身もどこにも残らない生活を営むことで、ファーンはその暴力に耐える――まるで、身を路上に晒せば晒すほど、思い出と一体化できると信じこんでいるかのように。当のファーンによって詩が暗唱されるのは、その生活の中で出会った若者の放浪者に再会するシーンだ。
 最初に会ったときには仲間と一緒にいたその男の子は、ひとりで焚き火をしている。日焼けのせいかアルコールのせいか、顔はむくんだように赤くなり、呂律もたどたどしくなってしまっている男の子に、ファーンは両親や恋人について尋ねる。そして、恋人にうまい手紙が書けないとこぼす彼に、ボーとの結婚の誓いに使った詩、シェイクスピアのソネット18番を聞かせる。

シェイクスピアという名前を「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」の原作者として、あるいは「恋におちたシェイクスピア」(私の大好きな映画の一本!)の主人公として知ってはいても、日本語で彼の詩を読んだことがあるという人はあまり多くはないかもしれない。1609年、45歳にしてすでに劇作家としてロンドンに名を馳せていたシェイクスピアは、154作ものソネット形式(※)の詩を収めた詩集「ソネット集」を刊行する。なかでも「そなたを夏の一日に喩えられようか?(Shall I compare thee to a summer’s day?)」という一行で始まる「ソネット18番」は、英文学を学ぶ人には避けて通れない古典中の古典のひとつだ。ネット上を少し漁るだけでもさまざまな日本語訳を読み比べることができて楽しいのだけれど、劇中でも全篇が読まれる短い詩なので、私も翻訳してみよう。

ソネット18番
ウィリアム・シェイクスピア

あなたを夏の日にたとえられると思う?
あなたのほうがずっと愛らしく優しいのに。
乱暴な風は五月のかわいらしい蕾を揺らすし、
夏の手渡すひとときは短すぎる。
ときには天の瞳が暑すぎる輝きを放ち、
黄金色の血色にはことあるごとに影がさし、
すべての美しいものから美は削がれてしまう、
思いがけず、あるいは自然の軌道のままに。
けれどもあなたの永遠の夏が霞むことはない、
あなたの持つ美しいものが失われることはない、
死もその影をあなたが彷徨うと言いふらすことはできない、
永遠の詩行の中であなたは時のかなたへ育つのだから。
ひとが呼吸をやめず瞳が見ることをやめない限り、
この詩が生きて、あなたに命をもたらす限り。

画像2

「あなたを忘れない」とどんなに美しく伝えることができても、呼びかけた「あなた」がもうそこにはいないとき、その事実を変えることはできない。けれど、だからこそシェイクスピアは、ときに苛烈で不安定な夏の美しさを慈しみながら、いつでも「あなた」を思い出せるように、その最も美しい表情だけが永遠に残るように、言葉の魔法をかけたのだろう。

不在の「あなた」といまここにいる自分との距離が、地球からおりひめ座までの距離よりも遠く感じられても、天体望遠鏡を覗けば、そこにはちゃんと過去から届いた光が見える。大切に持ち運んでいた思い出のお皿が割れてしまっても、トランクルームの家財を処分してしまっても、かつて暮らした家が廃墟になりはてたとしても、その光が消えることはない。

※現在も多くの詩人が愛用する伝統的な14行の定型詩。

筆者紹介

大崎清夏のコラム

大崎清夏(おおさき・さやか)。神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。映画宣伝の仕事を経て、2011年に詩人としてデビュー。詩集『指差すことができない』で第19回中原中也賞受賞、『踊る自由』で第29回萩原朔太郎賞最終候補。詩のほかに、エッセイや絵本の文、海外詩の翻訳、異ジャンルとのコラボレーションなども多数手がける。2019年ロッテルダム国際詩祭招聘。

Twitter:@sayaka_osaki/Instagram:@chakibear/Website:https://osakisayaka.com/

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