パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
全204件中、161~180件目を表示
主演女優に惹かれて鑑賞しました。
主演女優が私の好みの女性だったので、鑑賞した。まぁ、映画料金には見合う映画だったので、観ても損はないか思います。
この映画では、男はなんて純情なんだろうと思わせてくれます。それに比べて女性は決断が早い。現実的です。アカデミー賞にノミネートは出来ても、受賞は無理だと感じます。深い縁で結ばれた男女は言葉が要らない。その演出は良かったと思う。しかし、監督の力不足です。
「A24いい」
今年48本目。
映画の歴史の中で最も凄い制作会社だと思っているのでA24いい。
間をたっぷり取る、その間で見つめ合う、2人の感情が深い所で結び合っているのを感じる場面。
自分の人生で思い出す人はいると思います。
ビォアサンセット
会話を楽しむ映画なのかな。ビォアサンセットを彷彿とさせる縁で結ばれた、結ばれたけれども今回は、一緒にならなかった二人の物語。縁があっても結婚することがなかった二人。またどこかで出会うかもしれない縁で結ばれている。東洋的な考えなのかもしれないですがとても、共感できました。縁。
人生の片隅に置いておきたい秀作
映画チラシの色使いがあまりにも美しく、かつ韓国人(韓国が絡む)映画ということで数ヶ月前から見ることを決めていた映画。
客層は中年以上、やや女性多めな感じ。
ストーリーは宣伝通りのため、特に見所らしい箇所は無く。序盤の印象的なシーンは、12歳の2人の別れ際(坂道)。分かりやすく、ノラが上り坂、ヘソンは平坦な道に進むのですがここが今後の2人の人生の「格の違い」を表現していました。
この映画の秀逸なのは、合間シーンの音楽、風景描写の美しさです。中盤まではドラマチックな展開は薄く、ここちよい音楽風景シーンが淡々と流れます。
それが、後半の3人シーン以降で効いてきます。
疲れた時に、この映画の世界観に浸りたい、とっておきの一作となりました。
クールな女、未練の男のイニョンの物語
誰にもあるような過去の恋、そして再会。よくあるこのストーリーが魅力的に仕上がるのは逆説的だけどジョン・マガロの佇まいに依る所が大きい気がする。あんな美しい語学を学ぶ動機は聞いたことなかった。
2人とも今の自分が嫌いなわけじゃなくて、でも過去の自分達は愛おしい。過去の自分と今の自分が繋がってる感覚はどこか不思議で、それでいて心地いい。一種の非日常。曖昧なままの関係は尾を引いてしまいがちだけど、グレタ・リーは毅然としてて振る舞いがクール。ヘソンの潤む瞳とは少し対照的で、そこが凄くよくて、そして。
ラストシーンは音楽もよくて、たまらなかったな。
監督の実体験を投影しているのかなと思った。女性視点の昔の恋と今。これが男性目線だと違う物語になるかもしれない。アジア的な前世、縁の感覚は馴染み深くて、少し身近でシンパシーを感じてしまう素敵な映画だった。
好きです、この映画。
良い意味で抑揚のないストーリーのため、アカデミー賞作品賞受賞とまでは
いかないタイプの映画だと思いますが、私にとってはすごく好きな映画です。
8000層の人縁の中でのめぐり逢い。
どんな形で出会うのか別れるのかは都度違う。
来世で・・・。
死ぬ間際に思うならまだしも、
人生前半の30代男女がそれを望みながら現世を生き続けるのはつらい。
でも、成就しなかったからこその美しい記憶が、死ぬまでの50年を
輝かせてくれるのだと思います。
主役の二人はとびぬけて秀でているわけではないけれど、
どこにでもある人生を演じる上でとても現実的でラフな演技、すごく
よかったです。
普通の会社に普通の仕事、普通の給料、しかも一人っ子の長男。
条件先行の韓国社会での生きづらさをヘソンが体現してくれました。
思わず涙が込み上げましたが、しかし?
映画の初々しさ、みずみずしさに、思いがけず涙する。
鬼の目にも涙・・・でしょうか?
最後まで観たら後半はじわじわと感動の涙が込み上げてきました。
正直、世界中が絶賛とか、大げさだな・・・と思ってました。
(今も、そこまでの評価はありません)
成り行きで涙しましたが、よく考えると一筋縄では行かない映画。
(表と裏では見え方が真逆)
有名スターのいない良さ・・・とか。
長編映画初監督作で、それも自分の経験から生まれたという
セリーヌ・ソングさん。
大袈裟な表現もない、
泣かせの演出もない、
そんな清々しさ。
やはりヘソンを演じたユ・テオ。
一途で素朴に初恋の女性を思い続けた24年間、
とても共感出来る人だったんです。
ヘソンは韓国社会や自分の両親(家)そして仕事に
がんじがらめに縛られた生活を今も送っています。
憧れて大好きなナヨン(今はノラ)は、韓国から飛び立って移民した
勇敢な女性。
(親が新天地を求めたのですが、韓国人はかなり勇敢に世界に
進出しているようです)
ナヨンは12歳の時には成績をヘソンにたった一度抜かれただけで、
悔し泣きするほど強い性格。
そういう所もヘソンは好きだった。
その彼女が突然、視界から消えた、
移民して行ってしまった。
「突然・・・過ぎた・・・」と、つぶやく。
「韓国にいたらノーベル賞が取れない」
「だから外国に行く」
12年後(24歳)にオンラインで再会して、トロントと韓国で
オンライン・チャット。
懐かしさや思い出話で切なさも気持ちも盛り上がるものの、
お互いのキャリアを優先して会わずに、自然解消してしまう。
ここでもヘソンはナヨンにまた尋ねる。
「ナヨン、今の夢はなに?」
「ノーベル賞より、ビューリツァー賞かな?」
そして24年後にもヘソンはまた聞く。
「今の夢はなに?」
「トニー賞かな?」
(この野心こそがノラの本質なのだと思います)
この映画は韓国から実際に12歳でカナダを経てニューヨークに移民した
セリーヌ監督の実話に基づくから、なんと夫のアーサーと3人で食事したのも
事実とか。
そして今の夫で作家のアーサー(ジョン・マガロ)は、心の隅に、ある不安を
抱えているのです。
ノラ(ナヨン)はもしかしたら結婚はグリーンカード(永住権)を得るため?
それをちょっとだけ心配しています。
本当に彼女は愛してくれて結婚したのだろうか?
ノラが夫アーサーにヘソンを紹介する所はとでも良かった。
アーサーと自分の初恋の人との再会をオープンにすることにより、
再会はとても清潔なものになったから。
(でも自分の気持ちにブレーキをかける、そしてヘソンにも、
やんわりと牽制する効果も計算してます)
そしてアーサーが本当に優しい妻思いのいい人なので・・・
さすがに作家です(こんな経験は作品の素材になるもの)
この映画はサラリと淡く描いてるのが魅力なのだと思いますが、
よおく考えるとなかなかどうして、したたかな作品です。
ヘソンには捨てられない祖国、
捨てられない親や、しがらみ、
それを捨ててニューヨークという世界一の都市で劇作家として
多分戦場にいる初恋の人ナヨンが余計に輝いて見える・・
そんな気がして仕方ないのです。
初恋と24年後の再会を描いて、
「自由を求める」
「夢に向かって努力する」
そんなテーマを感じてしまうのでした。
たしかに韓国は日本と同じかそれ以上に女性の地位が低い。
ナヨン(ノラ)を演じたグレタ・リーさん。
勝ち気のかたまりに見えるお顔立ちです。
最後の別れで心残りのノラは、玄関階段で待ってる優しいアーサーに
泣きじゃくって慰めてもらう。
ヘソンはちょっとおひとよしでで都合良く描かれ過ぎかも。
ヘソンの言い分や本音も聞いてみたいです。
女目線の映画だと、公平に考えると私には思えてしまうんです。
もしも
50本目。
誰もがやった事あると思うんだよな。
昔の彼女、好きだった人の検索。
映画みたいにいく人って、稀だとは思うけど、もしそうなったとして、結局作品同様。
分かってはいるんだよと。
でも、この年になって、まだこんな気持ちになるんだなと、ちょっと嬉しかったりもする。
理解ある夫くんによって成り立つメロドラマ
アカデミー賞作品賞・脚本賞ノミネート、加えてレビューサイトでの評価も高いのに、個人的には全くと言っていいほどはまらず落胆してしまった。これは私の理解力や知識の及ばない部分があるのかとパンフレットを買って読んだが、冒頭のバーで3人並んだシーンが監督の経験に基づくエピソードだと知り、余計に無理な感じになってしまった。
心が揺れるシーンがなかったわけではない。好意的に観て、感動する人たちがいるのも想像はつく。そんな方たちには、私の感想文はお目汚しになるでしょう。すみません。
昔ちょっと好きだったあの人と、今は離れてしまったけれど、あの時ああしてたら2人はどうなっていただろう……ここまではありがちな想像だが、その後、十数年おきに実際に接点が生まれ、30過ぎてからあんなジリジリくるような邂逅を経験することはなかなかないだろう。本作は、大抵の人の中で ”if” のまま消えてゆく想像を具現化したファンタジーでもある(監督は体験したようだが)。
24歳の時のオンラインチャットの終盤、ノラはヘソンに会いたい気持ちを募らせて、ヘソンに対しても自らそのことを伝えた。だが、自分は韓国に行けない、ヘソンがNYに来てほしいと言い、ヘソンが来れないことがわかると、連絡を取るのをやめると言い出した。
そうしないと韓国に行くことばかり考えてしまって、アメリカでの作家活動が大事な時期なのに疎かになってしまう、ということなのだろう。ノラはこの時点で、ヘソンへの気持ちと自己実現への道を二者択一と捉え、後者を選んだ。
会いたくて韓国行きのことで頭がいっぱいになり、相手のヘソンもまんざらでもないのだから、行動的なノラなら、ここで後顧の憂いのないよう互いの気持ちをはっきりさせるやり取りも出来たのではないかと思ってしまう。あるいは、トンボ帰りでいいから会いに行って話し合うことくらい出来なかったのだろうか。
しかし実際は、互いの恋愛感情さえはっきり口にせずもやっとしたまま。先に会いたいと口にしたのも、無理なら連絡を断つと決めたのもノラだったのに、ヘソンが提案した1年を過ぎても彼女は連絡を再開しなかった。
結局、2人のイニョン(縁)は本質的にはここまでだったのだと思う。
36歳になり、彼女と別れたからといきなりNYまでノラに会いに来るヘソンにも若干もやっとしたが、ノラの一連の行動が私にはちょっと無理だった。
昔なんとなくいい感じの間柄ではあったが、互いの間で恋愛感情を明確にしていなかったから(個人的には、直接会えないなら連絡を断つというのは完全に恋愛感情だと思うが)、ヘソンは「友達」だ。夫に対しても悪気なくオープンにできる。アーサーなら、元カレでも2人で会うことを許したかもしれないが。
しかし、アーサーだって微塵の不安もなく2人の再会を見守っていたわけではない。彼の、ノラを信じたい心と不安感が静かにせめぎ合う様子がひしひしと伝わってくる。
そのせめぎ合いの緊張感は、3人でバーカウンターに座った場面でピークに達する。真ん中に座って、最初はアーサーとヘソンの通訳を務めていたノラだが、やがて完全にヘソンの方だけを向き、アーサーに分からない韓国語で通訳もせず、2人の世界に入ってしまう。しかも内容は、なにもアーサーといる時じゃなくて前日2人の時に話しておけよというような、男女のセンチメンタルな会話だ。映画冒頭の描写では、アーサーは観光ガイドかなあなんて近くの客から言われる始末。そしてお会計はアーサー持ちである。
私は完全にアーサーに感情移入した。頑張れアーサー。
しかしこのシーン、監督の実体験であり、かつ夫をこのように描写しているということは、監督は自分の夫の疎外感も察した上で、このバーのシーンみたいなことを現実にやったわけですかね。なんだかなあ。
ラストの、Uberを待つ間に2人が向かい合うシーンは、短いが思わせぶりな緊張感が漂っていた。しかし、するのかいせんのかい……せんのかい! 結局意外な展開は何もない。
ヘソンが去ったあと、夫の前でノラが泣き出したのを見てがっかりしてしまった。今のヘソンへの愛というよりは、戻らない過去への感傷に近い涙なのだろう。でも、夫の前で泣くなよ。
こういうのは、「大人のラブストーリー(公式サイトより)」と言えるのだろうか? 私には、子供の頃の宙ぶらりんな淡い恋をあの歳まで消化しきれず引きずり、脱皮が遅れた人たちの話にしか見えなかった。
大切な人を不安にさせるくらいなら、自分の中に消化しきれない過去の何かがあったとしても、そのまま胸にしまって生きてゆくのが大人なのだと思っていた。ヘソンの気持ちに答えられないなら、早めにきっちり切るのも成熟した人間の思いやりだろう。
唯一、アーサーだけは大人だった。彼はノラの中に残る焼け木杭のようなヘソンへの感情に、夫として、また作家としての勘で、多分早い段階で気づいていた。そのことに内心不安や疎外感を覚えながらも、最後は泣きながら帰ってきたノラを、玄関先で待っていて抱きしめた。ヘソンの存在を彼女の一部として受け入れようとした。
この物語は、彼の寛容さなくしては成り立たない。ここまで包容力のあるアーサーこそ、ノラにとってイニョンのある男性なのではないだろうか。
もし、この3人の性別が逆だったら、つまりノラが男性だったら、現代においてこの話は美談たりえただろうか? その場合、女性を都合のいい存在として描くな、とか言われるような気がするのだが。
物語を彩るNYの風景が美しかったのが救いだった。
忘れられない恋
幼なじみのナヨンとヘソン。24年振りの再会は美しくも切ない大人のラブストーリーでした。二人の相手への様々な想いがスクリーンを通してまっすぐに伝わって来て、共感する思いで胸いっぱいになります。
そしてイニョン。人と人との縁は不思議な物。大切にしなければいけませんね。もしも…、あの時…、人生は選択の連続ですものね。
もう一人、ナヨンの夫アーサーの気持ちも又切ない。三人三様、それぞれの想いが巧みに表現されていました。
ナヨンのグレタ・リー、ヘソンのユ・テオ共に素晴らしかったです。
ニューヨークの街並みが哀愁漂よう映像で彩られ、これがまた切ない。でも美しかったです。
わかるけど・・・
ソウルに住む12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに好き同士だったが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまった。12年後、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たしたが再び音信不通となってしまった。そしてまた12年後、36歳の時にはノラはアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合った。さてどうなる、という話。
うーん、わからないこともないけど、特に刺さるものも無かった。
クラスで1番と2番というほど頭の良かった2人たんだけど、移住して行ったノラはそれなりに成長してたように思ったが、韓国に残ったヘソンは子供のまま歳だけ取ったように感じた。
ノラの夫に向けて話したヘソン役のユ・テオの英語は下手くそすぎた。韓国語かと思ったほど酷かった。
欧米では、「縁」とか「前世」とかいった考え方が新鮮だったのだろうか?
ある程度の歳を重ねてくると、「あの時、もし、あの人と別れていなかったら、今の自分はどうなっていただろう」と夢想するようなことは、少なからずあるだろう。
今でも好意を抱いている初恋の相手と、同窓会か何かで、何十年かぶりに再会することもあるかもしれない。
その点、この映画が描いているのは、誰もが体験し得るような普遍的なシチュエーションであると言えるのだが、逆に、それ以上でも、それ以下でもないのは物足りない。
2人が独身だったり、結婚していても夫婦関係が冷え切っていたなら、再会によって、新たな恋が生まれたのかもしれないが、この映画のように、夫婦仲が円満で、しかも結婚相手が「良い人」であるのなら、例え、初恋の人と相思相愛だったとしても、「ご縁がなかった」と、その気持ちに折り合いをつけるしかないだろう。
だから、この映画の結末は、当然と言えは当然すぎて、「こんな当たり前のことを描くのに、何を勿体ぶっているのか?」とも思ってしまう。
それよりも、自分の妻が、初恋の人と、自分の理解できない言葉で話し込んでいるのを隣で聞いている夫のことが、何だか妙に気の毒に思えてしまった。
男女の「縁」とか「前世」での関係とかといった東洋的な思想が、欧米の人々には新鮮だったのかもしれないが、残念ながら、自分には、心に響いてくるものが何も感じられなかった。
タイトルの意味に気付いてたら見てなかったかも…
英語苦手系中年なので、「PAST LIVES」の意味が、「前世」だって全然気づかず観た。
前世ものって、陳腐やんかぁ…
映画始まって早々に、“イニョン”という言葉が出てきて、縁、前世、輪廻転生という、わたくし的には避けたい系のワード満載で、ちょっと逃げたくなった。
袖ふれあうも多少の縁ってことわざ、ジャパンにもございましてね、仏教文化つーか、儒教文化っつーか、コリアもジャパンも文化のルーツが近いなぁって、改めて思った。
最初にズッコケはしたけど、楽しくは観られました。
ノラの韓国名なんだったかな、忘れたな。
韓国系の移民は英語名つける人が多いのかな?と思いました。そうやって馴染もうとしてるんだね。
小学生ヘソンの声が、声変わり済みでびっくりした。成長はやいね!
ヘソンの分厚い上半身に、韓国的な男らしい容姿の美を感じました。すみません。
ヘソンの友人4人組がずっと一緒でなんか嬉しかったです。
ノラの夫役の人は、ファーストカウの主人公・クッキーの中の人みたいです。切ないユダヤ人男性役、良かったです。
初恋の相手に会いたいなんて思ったことないわー。
字幕翻訳は松浦美奈さま。英語、フランス語、スペイン語の字幕翻訳もしてはって、すごいなぁと思っているけど、韓国語まで?
韓国語を英語にした脚本?字幕?から日本語に訳してるんかなぁ。すごいなぁ。
それぞれの人生
幼友達のヘソンとナヨン。子供の頃にナヨンの移住で離れ離れになり時を得てNYで再会する。
雨の日、夕日、NYの街並み、とにかく映像が美しくて写真集あったら欲しいくらい。観ているとその場の匂いまでしてきそうな…音楽も良かった。
お喋りが止まらない時も黙って歩いている時も、見つめ合ってる時も、奥深くで繋がっているような、どうにもならない2人の感情が溢れているようでした。
置いてけぼりの旦那さんはあからさま過ぎましたが笑
少し頼りないキャラというか…でもすべてを受け入れる感じ。
静かで、切ない2人の物語が沁みます。
大好きな『マディソン郡の橋』を久しぶりに観たくなりました。
時間を重ねていくからこそ見えてくる関係性が、暖かくも痛切な一作
セリーヌ・ソン監督は本作が劇場公開長編作品の初監督作品であるにもかかわらず、いきなりアカデミー賞作品賞をはじめとした主要部門のノミネートを獲得するという快挙を達成しました。
時間軸をジャンプしつつ男女の関係性を描くという作劇自体はそれほど珍しいものではないし、登場人物も故郷ソウルからニューヨークに移住したノラ(グレタ・リー)とソウルに残ってノラを想い続けるヘソン(ユ・テオ)、彼らの再会を見守るアーサー(ジョン・マガロ)というほぼ3人のみという簡潔さ。彼らの姿をやや引いた視点でとらえ、このような関係に収れんするまでになにがあったのか、期待を高める導入部は非常に魅力的です。
どちらかというと抑制的な演技、演出に終始しているため、ドラマチックな大恋愛ドラマを期待すると少し意外な展開かもしれませんが、ある程度年齢を重ねた男女が、過去の自分と現在背負っているものを見つめつつ対話を重ねていく、という成熟した物語への期待には確実に応えてくれる作品です。
なんとなく(現世では)再会以上の関係に発展しそうにないことを自覚しているノラとヘソンなのに、もしかして二人には”縁(イニョン)”があるんじゃないか、そうであれば自分は身を引こう…、というアーサーのちょっと寂し気な佇まいがなんとも言えない味わいがあります。
『ファースト・カウ』(2020)でもそうだったけど、ジョン・マガロは物静かで、達観しているというよりも何かをあきらめたかのような人物を生き生きと(って表現はちょっとおかしいけど)演じることに長けていることが改めてよく分かります。一方ヘソンは、全編通じて過去を振り切って、未来志向で生きる人としてふるまっていた…だけに、彼女が結末に見せる表情には意外性がありました。その前後にヘソンに対して語りかけた言葉は前向きだけど痛切でもあり、その後の彼女の表情と相まって忘れがたい印象を残します。
ソン監督の絵作りは、ソウルやニューヨークの、何気ない街角から素晴らしい構図を切り出すという点で、それこそ前述の『ファースト・カウ』の監督である、ケリー・ライカートの映像を連想させます。ソン監督とライカート監督のつながりを示すような解説とか読んだことないんだけど、ジョン・マガロつながりもあるし、絶対何かの縁(まさにイニョン)があると思うんだけどなぁ…。
大人の恋愛「についての」映画
24年にわたる恋愛を淡く切なく描き切った大人の恋愛映画。恋愛映画っていうか、「恋愛についての」映画かも。なんか「恋愛」そのものでもない気がするんだよね、だって二人はほぼ会ってないんだから…
韓国に残った彼が持つトラディショナルな恋愛・結婚観と、カナダ→アメリカに移民した彼女の現代的な恋愛観の比較も良かった。
しかし白眉はラストのシークエンス。表面上はなんでもない会話の、立ち位置やちょっとした仕草、視線の動きが素晴らしいし、動いていっての(たしか)ワンカットでのラストの演出と演技が最高だった…
ああじゃないラストの可能性もあったと思うけど、そのどちらをも含んで、リアルな傑作なんだと思う。
アカデミー作品賞候補も納得。
袖振り合うも多少の縁
「他生」だと気づいたのはいつだったか。韓国にも同じことわざがあると知り驚きました。同じ文化圏なんだと改めて認識。
24年前の少女を求めてニューヨークまで行く男も男だけど、それを受け入れる女性も女性だなあ、と。さらにその二人の二日間のデートを許し、そのうえ3人で食事する旦那さんも・・・。
なのに、結局、3人ともよい人で、それがかえって、見ていてつらい気持ちになりました。
でも、人生って、そんな感じですよね。
なるほど賞賛されるだけはあるかなあ、と。
クールでかつ美しい。今、観るべきラブストーリーの筆頭です。
さすがA24。脚本、演出、総指揮のセリーヌ・ソンという素晴らしい才能を発掘した。ちょっとソフィア・コッポラを思わせるナイーブな作風。
ナヨンとヘソンは12歳の時に離れ離れになり、12年後には一旦連絡を取り合うようになるがニューヨークとソウルでそれぞれ暮らしているため恋愛関係までには至らなかった。更に12年後、ニューヨークで二人は再会することになる。この12年ごとという時系列と、繰り返されるイニョンという概念から、よくある因果応報というか「生まれ変わったら一緒になりましょう」のような話かと思っていたが、これは変化球でした。
ナヨン=ノラもヘソンもそしてノラの夫アーサー(ジョン・マガロ。「ファーストカウ」に続き繊細な素晴らしい演技です)も不可知論的に運命に左右されることがイニョンだとは思っていない。人生には選択を迫られる岐路が時としてあるものの、その時々の自分の判断や行動もイニョンであってそして不可逆的に昔に戻ることはできない。たとえノラのニューヨークでの成功がささやかなものであり、ヘソンは韓国で平凡でかつストレスフルな会社員生活を続けるのだとしても。
その諦観、でもそれぞれの人生をそのまま生きていくことの決意、希望をこのラブストーリーはクールに映し出し、だから美しい。
カメラワークが素晴らしい作品です。ブルックリン側のブリッジパークで撮影されたシーン群も美しいけど、特に最後のシーン、ヘソンと別れたノラがゆっくり歩きアーサーに迎えられアパートの階段を二人で登っていく、そしてドアが閉まるところまでをワンカットで捉えているところ。余韻というのはこういうことなのだなと感じました。
全204件中、161~180件目を表示