劇場公開日 2024年4月19日

「題から“夏”が消え、日本的情感も失われた」異人たち 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5題から“夏”が消え、日本的情感も失われた

2024年4月16日
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鑑賞方法:試写会

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2023年11月に死去した脚本家・山田太一が1987年に発表した長編小説「異人たちとの夏」の2度目の映画化。英訳された小説を読んだ英国人監督アンソニー・ミンゲラ(「イングリッシュ・ペイシェント」「コールド マウンテン」など)が映画化に動いたのが企画の始まりで、ミンゲラ監督が2008年に亡くなり紆余曲折を経て、同じく英国人のアンドリュー・ヘイ監督(「荒野にて」「さざなみ」)で映画化が実現した。米国の映画祭での初上映は昨年8月、完成した本作を生前の山田氏も観て、「温かく受け入れていただけた」とヘイ監督がインタビューで振り返っていた。

なお最初の映画化は、1988年の大林宣彦監督作「異人たちとの夏」。都会のマンションで一人暮らすシナリオライター業の主人公・原田(風間杜夫)が、生まれ育った浅草を訪れ、12歳の時に死別したはずの両親(片岡鶴太郎、秋吉久美子)とひと夏を過ごす。古い木造アパートの畳の間で、蒸し暑く汗ばむ午後、上着を脱いでランニングシャツ姿になり、ちゃぶ台を囲んで母が作ったアイスクリームを食べる。郷愁を誘う戦後昭和の家族の情景に、亡くなった先祖が数日間帰ってくるというお盆の言い伝えもファンタジックな物語要素に重ねられている。

一方でヘイ監督版の邦題は「異人たち」。舞台を現代のイギリスに移したことで、ノスタルジックな感興も今の英国人が1990年代頃の郊外に抱くそれに置き換えられている。題から夏が消えたように、蒸し暑い夏も、畳の部屋で過ごす下着姿の家族も当然のように描かれず、なんだか日本らしい情感が失われてしまったようでさびしくもある。

主人公と同じマンションの住人で、やがて深い仲になる相手が、女性から男性へ変更されたのも重要な改変点だ。ゲイを公表しているヘイ監督は、自身の体験を脚本に反映させた(シーンの一部は実際に幼少期を過ごした家で撮影されたという)。主人公アダム役に起用したアンドリュー・スコットもゲイをカミングアウトしている。昭和日本の郷愁が失われた代わりに、多様性とインクルーシヴといった現代的な要素が加わり、欧米での高評価につながっているようだ。

なお、大林監督版ではラスト近くに唐突なホラー転調があり、賛否が割れている。2019年の東京国際映画祭で上映された際の舞台あいさつで、長女の大林千茱萸(ちぐみ)が「最初に松竹から話をもらったのは(夏に観客をぞっとさせる)ゾンビ映画だった」と明かしていた。その後、山田太一の原作を市川森一の脚本で映画化することに決まったが、初期のホラー構想の名残りであの終盤になったのだそう。「異人たち」のプレス資料の中で、山田太一の長男で撮影監督の石坂拓郎と次女の長谷川佐江子がインタビューに応じ、父の執筆時の思い出や再映画化への経緯を語っているのだが、大林監督作についてまったく言及していない点が興味深い。大林監督・市川脚本の改変が山田家では不評だったのだろうか。

高森 郁哉