わたくしどもは。のレビュー・感想・評価
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いつも星三つにしていますのであしからず
冒頭のタイトル・クレジットのところで『Who were we?』と出てくる。これもタイトルに入れておいてくれれば。
大竹しのぶが雨音を聞きながら気持ちよさそうにうたた寝。
次の場面で、白々とした佐渡の資料館のフロアにうずくまっていた田中泯がゆっくりと身体を起こし天井を仰ぐ短い舞踏をみせる。
佐渡に流された世阿弥を想起させる辰巳清次郎の舞。
身にまとった赤い長襦袢を嬉しそうにひらひらとさせる片岡千之助。
心中をしたとおぼしき小松菜奈と松田龍平のふたりが黒と赤の衣装で横たわる形(どこかで見たっぽい構図だが)。
鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』とか『陽炎座』のような作品を期待していたのですが
最後のほうで、この映画の世界の規則(世界観)の説明をするような展開になった。
すまん。
私は『Who were we?』とか『私ってなに?』とか『どこからきてどこへ行くの』とか、下手すりゃ『自分探し』とか、全く興味ないんだわ。
もっともっと、規則などわからなくてもいいので、美しく遊んでくれていたら、と思わされました。
また佐渡を舞台としていて金山とかが背景になっているわりには『佐渡』っぽさが意外に希薄で残念。
清順の映画はちゃんと『鎌倉』っぽかったし『金沢』っぽかった。
芸術作品といえる
美しい山の緑、朽ちかけた山門、荒い日本海の波。映像の美しさから目が洗われるよう。
無駄を無くした、最小限のセリフと長い間。俳優の表情のアップ。
佐渡島の相川金鉱のトンネル。この世とあの世を繋ぐ道。江戸時代は「地獄」と呼ばれていた。幻想的な絵が素晴らしい。
最初に清掃員として大竹しのぶが登場した時点で察することができた人もいただろう。その後に出て来た少女二人。名前が無いのは生まれ変わりの象徴。
鈍い人には物語の行く末が分からなかったかも知れないが、私は最初のシーンですっかり分かってしまった。
途中、ろう学校で苛められる少年の登場。これは観客にヒントを与える為だつたのだろうか。手話が沈黙と少ないセリフに良く効いている。
そうだ 涅槃、行こう。
ひたすらにボンヤリとしたミドリが、ボンヤリと彷徨い、ボンヤリと人と関わる話。
キイとも早々に絡まなくなるし、アカとクロは存在意義が分からないレベル。
ムラサキは結局なんだったのか…(最初のバスガイドの時点では生きてた?)
館長は「四十九日」というワードを出すだけの役割。
透くんも世界観の補強以上には感じず、聾唖にした意味も分からない。
黄と青を混ぜるとミドリ、赤と青を混ぜるとムラサキ、黒はすべてを飲み込む…
なんてことを考えながら役名を見てましたが、色名にした意味は特になさそうでした。
万事において3秒でいいところを10秒使うような尺の取り方は、雰囲気より睡魔を誘い出す。
前後の脈絡なく差し込まれるシーンも多かった。
世界の秘密もふたりの関係も当初の予想を超えなかったこともあり、ずっと退屈でした。
中分けの小松菜奈と、シャッキリとした田中泯が新鮮で、それだけの作品。
記憶を失ったからって、一人称「わたくし」になります?
漂う念の行く末は
映像の妖しさと説明のない場面から様々な想像をしながら観る。
かつて賑わった鉱山跡。
金を求めて欲望が集まった町。
労働者として連れてこられた者たちが無惨な末路をたどった町。
そこは死者の念が彷徨う場所。
その町で死者が過ごす時間は短い。
風が吹けば煙がかき消えるように次の場所へといってしまう。
しかし己の欲のために人を犠牲にしたものは永遠にここを彷徨い続けるのだろう。
ただれた体を引きずりながら。
念が狭間の世界で体を持ち、目で見て、言葉を話し、愛し合うことができるのならば
私たちが念や狭間ではなく実体だと思っているこれと「それ」、ここと「あそこ」はそれほど違いがないのかもしれない。確かめるすべは、一度経験した後ならばニ度は死なないということ。しかし実際に確かめてみるわけにはいかない。
出だしから訳の解らない展開で謎だらけの作品。 本年度ベスト級。
全く前情報無しで鑑賞したのが悪かったのか?
これ何の話なの?
って思いながら鑑賞(笑)
台本を棒読みした感じのセリフ。
登場人物の名前が「ミドリ」や「アオ」とか名前は全て色。
生活感の無い部屋や街や観光施設。
全てが謎だらけ(笑)
中盤の「四十九日」と言う言葉で、本作は死後の世界を表現していたと理解する(笑)
そう言えば出だして小松菜奈&松田龍平さんが身を投げるシーンがあったな(笑)
二人で身を投げ命を断ったと思いきや、小松菜奈さん演じるミドリは目を開ける展開。
だけど死後の世界の松田龍平さん演じるアオが既に警備員として働いていたので死にきれなかったミドリが後追い自殺をしたと推測。
バスガイドが昔の心中は重罪だったと話していたけど既に死んだ人にどんな罪が与えられるのか?
気になるところ。
本作は終始小松菜奈さんの美しさに終始釘付け。
これだけでも大きな収穫だった(笑)
加えて佐渡島の美しい映像も良かった。
光と影を上手く組み合わせた映像が美しい。
特に坑道やトンネルのシーンの映像が印象に残る。
終わってみれば、何かを思う事も考えさせられる事もなく。
でも観たことに後悔は全くありません( ´∀`)
映像美は凄いのだけど、現実より美しく描いて問題ないのだろうか
2024.6.3 アップリンク京都
2024年の日本映画(101分、G)
奇妙な世界に迷い込んだ記憶を失くした男女を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は富名哲也
物語の舞台は、新潟県佐渡島
その中腹にある寺の舞台から二人の男女が飛び降りる様子が描かれて始まる
そして、物語は廃坑になった鉱山の廊下にて、記憶を失くした女性(小松菜奈)が清掃員のキイ(大竹しのぶ)に見つかる様子が描かれていく
キイは彼女を自宅に連れて行き、そこに住んでいた少女アカ(田中椿)とクロ(三島天瑠)は、彼女にミドリという名前をつけた
ミドリはここに来るまでのことを一切覚えておらず、キイは館長(田中泯)に頼んで、一緒に働かせてもらうことになった
ある日、動物の鳴き声に導かれたミドリは、そこで同じように記憶を失くしている男アオ(松田龍平)と出会う
彼女は施設の清掃員をしていて、寡黙な男だった
一方その頃、街に住む高校生の透(片岡千之助)は同級生たちからいじめられていて、それを苦に自殺を試みようとしていた
そんな彼の元にアオが訪れて、透の自殺は失敗に終わった
映画は、佐渡の山奥の雰囲気に癒される系の映画であるものの、主題は不明瞭で、何をテーマにしているのかは分かりづらい
ヒーリング効果もあるので爆睡してもおかしくないが、意味がわからないので起きている可能性の方が高いかもしれない
一応は、自殺は良くないよね、という一言で終わりそうなものの、それ以上を汲み取るのは難しい印象
敢えてなら、そこがかつての鉱山で、罪人が島流しにあって死んだ場所ということもあるので、自殺は天国にも地獄にも行けずに流刑地で彷徨うという意味合いがあるのかもしれない
そこで記憶を失っている意味がよくわからず、罪を償わせる意味を持たすのなら、生前の記憶を有して、死んだことを後悔し続けるとか、実は起こった良き未来が頭の中を駆け巡って、こんなところに来ては行けないと思わせないとダメなような気がする
自殺に対するアプローチも「ダメだよ」レベルなので啓発にもならないし、天国にも地獄にも行けず、生前の記憶も亡くなるならハッピーじゃんと思う人がいてもおかしくないように思えた
いずれにせよ、最終的には自殺をしたことを思い出すものの、それで終わりという感じになっているのがなんとも言えない部分がある
これらの体験を美しい世界のように描いている感じも微妙で、死後にアイデンティティが欠損するというのは、精神的幇助に近いと思う
そういった意味において、本作の意図はわからないのだが、雰囲気だけは良いので引き込まれる部分はあるのかもしれません
ひょっとして、死神の手招きのような映画だったのだろうか
そのあたりもちょっとわからない部分が多かったように思えた
混沌。
一緒に心中した男女が生とその先の狭間で、記憶ないけどなんか惹かれるってチチクリあっちゃうお話。
今いる場所が多分、生の世界で、主人公たちはきっと死にたてホヤホヤで触れるしご飯も食べるしバイクも乗れるけど生きてる人には見えないっぽい。
男の方は二股なんだか人殺しなんだかわかんないけど違う女がやってくるってことは。。。
突然バイクに乗り出して『???』ってなった。
ギュゥゥゥッとしたら30分くらいで終われるかも?
綺麗な景色と自然をノッッペリと見せられた感じでした。
あの世とこの世の狭間 佐渡の金山の跡地で 人々は記憶をなくし 仮の生業を演じながら過ごす49日のはなし なぜか素直に楽しめない
あの世とこの世の狭間
佐渡の金山の跡地で
人々は記憶をなくし
仮の生業を演じながら過ごす49日のはなし
単純に、描きたいイメージを自由に形にして並べた、美しい映像詩のようであり、それを見て感じる映画と思う。
ミニ・パフォーマンスを一か所に集めた個展のような感じ。
何も考えずにこの雰囲気に漂うにはいい。
でもどうしても現世で今映画を観ている自分としては、野暮なことをいろいろ考える。
不思議のままでいいという世界観に、説明しなくても、わからなくてもいいという
言ってしまえば辻褄も理論も不要という創作は、自由で実に楽なのでズルい。
美しい外観と高尚なイメージ。
映画というパッケージの製作過程で、集められる有名なパフォーマンスを並べて形にしたもの。
二人はこの時間だけの関係でひかれあったのか、
生前の許されなかった関係に次の世での愛を誓ったのか、
他の人々は、ゆるしの時間が与えられたのか?
かと思えば、現世のつらい場面もあったりして一貫していないのでよくわからない。
さりげなく実は高そうなかっこいい衣装や、小物や食事や、施設の見学客は何なのか。
地名をさりげなく織り込んで、この場所の魅力を自然に打ち出そうとしている姿勢は、補助金を使った町おこしなのか?
税金の無駄遣いか?
有効活用か?
そんないろんなことが隠されているような感じがして、
なぜか、素直に楽しめる映画になっていない感じがしてしまって。
思わせぶりで、カッコつけてるのが気になって仕方ないからかもしれない。
どおしても、お高くとまってるように感じるのは、現世を生きる私の”ひがみ”かも。
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