ある男のレビュー・感想・評価
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引き寄せられる社会派エンタメ
社会派エンタメ、ミステリーとしてどんどん先が気になる映画だった。
血縁、人種だけを理由にしたレッテル貼り、迫害は絶対にあってはならないし、それから逃れたいと望む人は悪なのか?その人同士が望むなら良いのではないか?
最後妻夫木聡は窪田正孝の最後の人生を自分ごととして語る。
あるいは、妻夫木聡と仲野太賀の同意のもと名前を変え、安藤サクラと結ばれ、中学生の息子は名前を変えずに済んだのかもしれない。
蜜蜂と遠雷と比較すると、衝撃的な映像みたいなものは少なかった。
少しセリフ回しが不自然な印象はあった。
演技は上手い
原作未読。
役者は子役含め、みんな上手い人で揃えている。ただ、この役をこの人?って言うのが幾つか有った。
それと、妻夫木の在日三世設定って要るのかなぁ。原作でもそうなんだろうし、テーマ的に必要なのは分かるんだけど、小説ならその話題の時の妻夫木演じる弁護士の内面がハッキリと出るだろうけど、映画で見ている限り、それ程かなぁと。それより、本物の谷口が消える理由(原作ではどれ位触れているのか?)をもっと出して欲しかったかなぁ。
見終わった後、ググって妻夫木が妻の浮気をLINEで知った時にスルーした理由は分かったけど、映画だけだと「えっ?スルー?」ってなってしまう。
面白かった。ミステリーとしても、演出も。
原作未読で、上映時も観そびれていたが、妹が面白かったとラインしてきて、ようやくアマゾンで観た。安藤サクラ、妻夫木聡、窪田正孝は名演で、河合優美もさすがの存在感。名前でなく、各人の存在と相手との関係性が重要というメッセージを感じた。最後のオチがおおっと思った。
役者が良い
Amazonプライムで観た。
展開が重い。全部が重い。
のちに戸籍を偽る事になるある男の子どもの時
家族ぐるみの付き合いがある友達を誘いに来たら、そこで自分の父親が友達一家殺してて血塗れのお金くれる
原誠がまず変えるべきは戸籍じゃなく顔だったのでは?って思った
殺人を犯したことで自分の人生すら狂わせた憎い父にそっくりな容姿がつらいのが理由だから。
そのあとに戸籍も変えたらもっと人生楽に生きれたのかなと思った
殺人犯の息子、在日だとか、そういう差別をする人達の中で必死で生きて、戸籍を変えてでも必死に生きる強い人だなと思った
どうしたって自分に流れる血から逃れることができない。
だからもういっそ戸籍を変えて、
自分を象る名前を捨てて、
血のつながりから目を背け続けた。
そして新たに自分を創り始めた。
城戸(弁護士)も
在日であることに、自分に流れる血液から目を背けられなかった。
自分をどんなに創り続けても、
貼られるレッテルから逃れられない。
それは自分でなく他人でさえもその人に流れる血液に目を向けるから。
自分が必死に自分を創っても、
他人は人を認識する時、その人に流れる血液や障害がある等を知った途端、以降その人を細胞レベルで認識し始め、その見方をなかなか曲げないし曲げる気も起こさない。
今の自分を捨てて生き直したい
その気持ちは痛い程分かる。
人を見る時に大事なのは
その人が自分にとってどんな存在だったか。
相手と自分との関係性はどうか
表面上では無く、
その人が行ってきた事実に目を向けて、愛してくれる人はかなり貴重な人
彼の血縁など、全てを知った上でも関係なく愛してくれる人に出会えたある男は報われたと思う。
原作未読です。 鏡に映った自分に向かって「お前は誰だ」と問い続ける...
原作未読です。
鏡に映った自分に向かって「お前は誰だ」と問い続けると、人は発狂するらしいですね。まさに鑑賞者にあなたは何者ですか?と問いかけるような作品です。最初は犯罪者の家族の人生にスポットが当てられた作品なのかと思いましたが、妻夫木聡演じる弁護士が在日コリアン3世であることが語られた辺りから、ああ、出自やバックボーンのようなことも含めもっと広いことを扱いたいんだなと感じました。色々考えさせられました。
とにかく役者さん達の演技が素晴らしかったです。冒頭から引き込まれます。窪田正孝さんはこういう役がよく合いますね、顔立ちもあると思いますが、鋭さや暗さの中に無垢さもちゃんと感じられてかなり良かったです。安藤サクラさんは言うまでも無し。最初の20分程駆け足ですがここまで説得力あるのが凄い。この後展開していくのでここがマズイと総崩れです。他の役者さんも皆んなめちゃくちゃ良かった。
ラスト、お酒のシーンで、弁護士が自分のことを話す時に嘘を言いますよね。あれが良かったですね。一瞬、え?どゆこと?と混乱しましたが多分そういう事ではなく。あのシーンがあることで鑑賞者にとってテーマがグッと近くなるんだと思います。皆んなあるでしょ?ちょっと話盛ったり、違う自分を演じたり。でもどれも自分自身なんだ。
私には英語が堪能な友達がいるのですが、日本語を話す時と英語を話す時では若干キャラ変わるなーと思ったことがあります。そもそも扱う言語が変われば発声の仕方や表現方法、文化が丸ごと変わるので当然なのですが、それも同じ当人なんだよな…人には色んな顔があり、そういうものなんだよなーと思った次第です。
死刑囚の絵画展で、本人が特定されるところはちょっと都合良すぎな気はしますが、全体的に良作でした。暗いけど淡々と運ぶ感じも良き。個人的に好きなのは、中学生の息子(坂本愛登)が「お父さんは自分が父親にして欲しかったことを僕にしたんだと思う」と言った時、安藤サクラさんが「それだけじゃなくて君を好きだったからだよ」と言うシーン。丁寧で温かくて好きです。
深さがいまいち掴めなかった
あまりの高評価と絶賛の感想に驚いている。平野啓一郎さんの原作だと知らずに観てしまった。平野啓一郎さんの分人主義も読んでいて複数の自分を肯定する考えに深く共感していたのに、映画からテーマである平野啓一郎要素を読み取れなかった自分が情けない。
ミステリアスな謎解きを期待しすぎたのかもしれない。柄本明さんがヘイトで妻夫木さんに悪態をつくのは物語のファシリテーター的な役割なのか?本物の谷口弟(仲野太賀)はただ老舗の次男が嫌になったただけ?
そこを深く考えなくてよいのなら、窪田正孝Xの生き方や、安藤サクラさんの幸せだった現実を素直に受け入れる姿、母子で支え合う姿はとても好感が持てたし、過去やしがらみに捉われず今の自分を精一杯生きればいいのだと教えられた気がした。
自分はどんな人間なのか?
愛した男が、亡くなったあとに偽名であったことが判明する不気味さと、「こやつは一体誰なのか?」というミステリーでありながら、人間の内面の重要性を説く作品で、非常に興味深くおもしろかったです。
キーワードは「名前」と「色眼鏡」。
テーマは「差別」と「個体(個人)」だと感じます。
自分はどんな人間であるか?他人に、自分という人間を知って貰えているか?名前ではなくて「こういう人間性のヒトだ」と、他人の記憶に残ることが「生きる」ということ、と説いている作品のように感じました。
「韓国ドラマばっかり観て」というシーンにドキリとしました。他愛のない家族間の雑談シーンで、「韓国ドラマ」という表現はジャンル分けした際の、ジャンルの1つだと思うし、深く考えずに何気なく使っていました。しかし「韓国ドラマ」という単語を分解して言い換えると、「韓国人が作ったドラマ」「韓国らしい作風」「韓国で人気がある」などなど、土地を限定する言い方は、差別にあたるかもと思いました。土地だけではなく、なにかを限定するような言い方は、差別になる可能性があるかもとも。
印象に残ったセリフは「私は誰の人生と生きたのか」です。旦那が不慮の事故で亡くなったあと、偽名だと分かったときのセリフです。のちに、「(偽名を使った理由)真実がわかったあとだから言えるのだけど、名前ではなくそのヒトと一緒に生きたことは事実だから、名前は知らなくても良かったのかも」と清々しい顔をされてました。
でもね、
この人は誰なんだ?という名前を知りたいと思う欲求や衝動は、自然だし当然だと思います。名前は、その人を表す記号だとは思うけど、その人そのもの。名前がわからないと、現実ではおろか、自分の頭の中ですらその人を呼ぶことができない。呼べないというのは、寂しい。だから名前は大事。大事だけど、ほんとに単純な「記号」として。本当に大事で重要なのは、中身で本質。ちなみにこの作品の言いたいことは、息子のユウトくんが全部言ってくれてます。
●「(苗字がかわることについて)僕は誰になればいいの?」
→誰かになろうとしなくていいし、型にハマる必要はないし、型にハマると自分を見失う。
●「(谷口という姓が知らない姓だと知った時)僕の名前はなんなの?」
→個人を表す名称の重要性。
●「お父さんが死んだことが悲しいのはなくて、もうお父さんに会えないことが寂しい」
→人に必要とされること、人の記憶に残ることの価値。
●「妹のはなちゃんには、僕から、どんなお父さんだったかおしえてあげる」
→一所懸命生きた証明をすることと、自分が誇れる人間になりなさい。
そして名前の重要性については、原誠さんが「りょうくん、りょうくん」と名前を呼ぶシーンがあります。
もうその人と接することが出来ない以上、その人の人間性を知る術がない。名前を呼ぶことが、その人の存在を認めたよ…と言っているように見えました。原さんは「思いやりがある人間性を持っている」と垣間見れるシーンでもあります。
劇中では、人物の後ろ姿の描写がとても印象的。度々、後ろ姿で映ります。「ちゃんと目の前の人を見てますか?見えていますか?向き合えていますか?」とメッセージを感じました。たぶん、故意に真正面のシーンは1つだけ。城戸先生が刑務所を2度目に訪ねる場面です。Xさんの本名が判明した事で自信満々の城戸先生。しかし、詐欺師・小見浦が言うように、城戸先生は「何もわかってはいない」。
城戸先生は、真相を知りたくて、知りたいがあまりに、答えだけを求めて、目の前のその人を見ようとしない。その人を形成した過去や環境、今現在の生活など。見ようとしていない自覚もない。分かったつもりでいるが、偏見による考えであることに気付いていない。
気付かないまま城戸先生は、言葉は少なく「分かっている顔」をよくします。偏見による「分かった気でいる」時もあるし、相手に共感を示している場合もある。だけど、共感を示すときは「共感すること」と「自己の感想をもつこと」がゴチャゴチャにならないように気をつけたいところ。城戸先生はそこも曖昧。共感を示す場合は「他者を理解する、までに留める」ようにしたい。意識しないで人の気持ちに共感をしていると、いつのまにかそれが自分の感想であるかのような錯覚を起こして、自分を見失いかねない気がします。
城戸先生は、自身が人種差別を受けてきて、その痛みを知っていて「色眼鏡で見られる」という事にウンザリしていて、人種じゃなくて型にハマった形じゃなくて、1人の人間を見て欲しい願望を持っています。しかし、自分とはなんなのか?漠然とした疑問があるだけだった。
「自分を自分だと証明とするもの」を探そう考えよう、とはしなかった…自己肯定感が低く自身と向き合えていなかった。人捜しは解決してスッキリしたかのような城戸先生だったが、人の、他人の人生は俯瞰しやすい。城戸先生自身は、自分が何者なのかわからないまま。城戸先生の「自分とは、なんなのか?どんな人間なのか?」その旅はこれからも続いていく。
同じように私たちも、自分自身をずっと探し続けるのでしょう。人の記憶に、自分という人間性を刻めるように生きていきましょう、、という映画なんだと思います。タイトルもいいですね…!飾り気がなく、ただ興味を引こうとしてるだけに見えて地味に感じたタイトルですが(失礼)、観賞後は、名前と内面の重要性を表していて、とても妙です!
さて。
度々書いている「自分はどんな人間なのか?」
これは、自分の考え、物の考え方、価値観を把握して自身で肯定する事と思います。一方で、他者が認める「あなたって、こういう人だよね」と評価される事も自分の一部であると思います。すべてを知って、自分を理解することは無理なのかもしれません。劇中(死刑囚の絵画展)で「人は変わりゆくもの」と講演がありますが、自分をアップデートしていくがごとく、絶えず「自分はどんな人間なのか?」と自問すること自体が、意味のあることなのかなと思いました。
作品を通して。
わたし個人の内面を、認めてもらえるように。また、他者と向き合ったときに内面を見ていきたいし大事にしたいと思いました。
ラストもやもや
でも話してるのが初対面の人だから別人になりたくて嘘を話していたんだろうな。そうだそうだ。
いや、でもなんかもやもやする。清野菜名ちゃんが妻夫木くんにやたら好意的だったのはなんだったのか。最後の話は本当なのかもしれない。あーあ、よくわかんない。
立場から逃げたい
犯罪者の息子という出自が原因で他人になりたかった原。家族関係が上手くいかなくて他人になりたかった谷口。
建前はさて置き、出自による差別や偏見はなくなりませんし、家族関係を断ちたい人もいますよね。城戸の義父のように、いまだに在日のことを言う人もいますし。
人々は普段は立場という仮面を被り生活をする。だから、仕事、家族、地域など、自分が置かれた立場から逃げだしたい人も少なくないと思います。それは、社会的立場が高い城戸も同じで、ラストはそんな皆のちょっとした願望を表しているのかな?と思いました。ちょっとした嘘をつくだけで生きのびられればそっちの方がいいですし。
もし、置かれた立場から逃げられたら、自死も蒸発も減るかもしれないですね。置かれた場所で咲く必要はないと思います。
愛した男はいったい何者なのか?ただの謎解きものではない良作でした。
Amazonプライムで視聴。第46回日本アカデミー賞にて最優秀作品賞を含む同年度最多の8部門受賞作品とのこと。
簡単なあらすじとしては、宮崎の田舎に暮らす寡婦の女性里枝は、ある時移住してきた「温泉宿の次男」と語る男性大祐と恋に落ちる。幸せな数年を過ごすも大祐は仕事中の事故で他界してしまう。一周忌で温泉宿の長男が訪ねてきたが、そこで愛した男性大祐は全くの別人だということが分かり・・・。いったい自分が愛した大祐は誰なのか?ってのが大まかなストーリー。
一見主人公は安藤サクラ演じる寡婦の女性里枝かと思いきや、里枝から大祐の身元調査を受けた妻夫木聡演じる弁護士の城戸が主人公。調査を進めていく中で、大祐が死刑囚の息子であったり、プロボクサーであったりと徐々に謎めいた人物像が解き明かされていく流れ。
単に謎解きモノではなく「死刑囚の息子」という呪縛に苦しむ大祐の姿や「在日三世」という自身に悩む弁護士の城戸、「戸籍のなりすまし」という問題に絡めて色々と考えさせられる作品。
特に良かったのが、主役級の妻夫木、安藤の演技は勿論素晴らしいのだが、脇を固める助演陣、特に途中で出てくる服役中の詐欺師柄本明の演技が素晴らしかった。「差別的発言をストレートに行う嫌な人間」っていうのが、これでもかというくらいに見せつけられる。
なお、劇中最後の依頼解決後数年たったバーのシーン。シーンの意味がよく分からなかったが、他の方の考察等を拝見し、あの時城戸が「何と名乗ったか」というのを考えさせるシーンであったと理解。自身の理解力の無さに呆れるばかりだが、なるほど、確かに面白い。
ついでに知ったことだが、作品の最初と最後に移る絵は画家ルネ・マグリットの「複製禁止」という作品らしい。上記の考察とともに、作品の内容と照らし合わせると色々考えさせられる、見た後の余韻がとても良い作品でした。
暗く重たく染み入る
あっさりと夫が死に、あっさりと実は夫の名前は全くの別人だったことがわかる。それ以降はむしろ妻夫木聡がメインとなってXさんと素性を探る。
自分という存在は何によって決まるのか。実存だとか原作者の主張する分人主義だとかの話に最終的に行き着くのだろうが、その手前の段階として普通に物語としていい。
戸籍を変えると別人になるのか
父親が代わり苗字が変わると別人になるのか
死刑囚の息子は死刑囚の息子でしかないのか
温泉屋の息子は温泉屋の息子でしかないのか
在日は在日でしかないのか
帰化して名前を変えるのはなりすましなのか
安物のワインにビンテージのラベルを貼る例え。
中身を分かってる奴なんて案外いないと。
死刑囚の息子が、鏡の中の自分に死刑囚の父親を感じるシーンはなかなか切実
田中慎弥の共喰いにも似たような感情描写があった
ボクシングをしてその顔を傷つける
ボクシングが強いのも死刑囚の息子だからなのか
妻夫木聡の奥さんの家族もなかなか
生活保護や在日へのヘイトがリアル
そういった捜索を経て戻ってくると、最初に当然のように描かれた日常風景がどれほど優しい時間だったかが視聴者にもひしひしと伝わってくる
よかった
役者がみんなよかった。
前半が幸せでとても丁寧でこの謎を本当に知りたくなる。
安藤サクラと家族と過ごす彼を見てたから変な推理をしないで見た。
林業の男(大祐またはX)を演じた窪田正孝がすごくいい。絶妙。
いろいろわかった後に彼を思う。
人によってはX(窪田正孝)と自分に線を引いて遠いものとして彼について何も思わないかもしれない。
他人事だと本物の大祐の兄(眞島秀和)みたいにわからないで終わる。
妻夫木聡演じる弁護士を通して見たから視聴者にも届いたと思う。弁護士は自分のルーツから嫌な経験をしてて、Xの生きづらさを考えてた。
弁護士(妻夫木聡)のつらさは、在日だからと色々言われるのも嫌だろうけど、目の前にいる自分がどういう人か知ってる人も、ルーツの偏見を捨てられないで接してくることだと思った。
安藤サクラの正体を知った後だけど「知らなくてもよかった」っていい。うれしい言葉。
でも、
世の犯罪者のご近所や知り合いが取材されたとき、いい人だったとかそんな事するような人には見えなかったとか、人には隠れてる面があって見たままではわからないこともあるから難しい。
犯罪じゃなくても浮気とか、目の前の人が分からなくなるものはあると最後わかりやすく描かれてた。
どんな生まれとか関係なく、最低なことは誰でもするし、最低な奴には誰でもなれる。
血のつながりとか生まれながらのもののどうしようもなさ、それを悪く思われて扱われるつらさを感じて考えた。
親と子、血のつながりがあっても別人で同じではない。
容姿は確かに似てるが同じことをするわけではないと見ててわかるけど、親子で描く絵が似てるのはあれなんだろう。血のつながり・容姿・絵で三つ同じところがあるから、こういう共通点が多いと知らない人は怖いと思うのかもしれない。共通点はあっても関係ない、と彼を知らない人はわからない。
この映画をミステリーだと思って見てなかった。
安藤サクラの子供ゆうとの最後のシーンは泣けた。ゆうとがいたからミステリーではなく、人が亡くなって悲しい気持ちを忘れず、Xが亡くなったことを悔やむことができた。
世にも奇妙な物語?
様々な社会問題を、深刻ではあるけど説教臭くない程度に展開させるストーリーは見ごたえがあった。
ただ、最後の最後で誠の幻想を見たり、城戸が戸籍ロンダリングで、谷口に取って代わったような事を示唆したことで
これまで観てきた事が、本当のことだったのか分からなくなってしまった。
そもそも大祐が里枝とお友達になろうと思った魅力って、どこで感じたんだろうか?
様々なテーマが凝縮された良作
遅ればせながら配信で視聴。
映画館で見ていたら、暫く呆然としてしまっていた気がする。
国籍による差別、親の境遇による周りからの目線、家族関係…別の人生を生きることでしか脱却できない悩みや苦しみがあるということが、非常に説得力のある形で描かれていた。
本作に印象的なモチーフとして使われている「複製禁止」、および謎解きの大きな鍵となる窪田正孝演じる小林謙吉/原誠の描く、顔のイメージが一部ぼかされた絵画も、ルネ・マグリットがモチーフとなっているだろう。
ルネ・マグリットも、彼の絵画人生に母の自殺が大きく影響しており、この作品との繋がりを感じさせられる。
そして衝撃のラスト。妻夫木聡演じる弁護士の人探しの旅は、自分の人生探しの旅であったのかもしれない。
母と息子の描き方も非常に素晴らしかった。息子の演技も圧巻。個人的には、まだ何も知らない幼い娘がこれからどのように育ち、自分の境遇と向き合っていくのかについても考えさせられた。
短い時間ながらも、一つ一つのテーマを可能な限り丁寧に描いていると感じる良作。
家族が犯罪者
家族が人殺しのせいで人生がだいなしになるシリーズ、過去の代表的な類似背景ならば【手紙】山田孝之 が素晴らしかったが、これもなかなか最後まで見させられた感があります。
👌
出自…
それは自分では選ぶことができない。殺人犯の息子という事実を消し去りたかった。僅かな時間だったが宮崎での生活は幸せだったのだろう。残された家族は複雑だろうけど、特に幼い娘は。ラスト在日の弁護士は妻の浮気で今の生き方を捨てたのだろうか。元々妻やその家族とは合ってなさそうだが。人によっては辛い過去、逃げ出したくなる今があり、人生をリセットして生きていきたい、ということ。柄本明は怪演だった。
ある男のあるという事
「ある男」平野啓一郎さんの原作の小説を読んだ時にも衝撃的な作品だなと感じる部分がありました。
この映画化された作品もまた違った印象を受ける事が出来ました。
窪田さんの父の役と現在の役の対比がとても印象的でした。
安藤サクラさんの安心感を与える表情も良かったです。
妻夫木さんの真実に近づくにつれて、自分の存在というものに謎を迫る姿も良かったです。
自分が結婚した夫、全然知らない人であった。では、あの人は、誰なの?そんな謎からその人の真実の近づく事になってくる。
自分が知っている部分がその人の全てでは、ないのかなと感じました。
その人が実は、悪い人かもしれない。もしくは、自分が感じているままの人かもしれない。
それは、全てがそうではないと思う。なぜなら、生きていれば環境や状況が変わればその人の考え方も自分の考え方も変わってしまうから。
とても文学的な作品で見終わった後に自分の存在は、本当は、誰なのだ。誰でありたいのかなと考えたい。
このまま生きている事に生きていたい。何を望んでいたいのかなと思いました。
あなたの過去など知りたくないの~♪
愛した夫は別人でしたというから、謎めいたミステリーものだと思ったら、事故が起きるのは20分後、ようやく真相に迫る戸籍売買人の下りが50分後と超スローテンポ。
主人公の弁護士は在日3世、謎の男は死刑囚の息子、いわれのない蔑視や差別に悩むのは共通項で世間の差別意識に物言う社会派ドラマ的でもある。
原作の平野啓一郎は分人主義者(自分の中の複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉える考え方)だそうだが監督の石川慶も東北大学で物理を学んだ後、映画監督を志しポーランドのウッチ映画大学に留学し演出を学んだ変わり者、自分探しのためにあえて海外に学ぶ道を選んだようだが二人には、「自分とは何か」という共通する哲学的テーマがあったのでしょう。
ただ、キャスティングや演出は自分好みでは無いので観ていて違和感が否めなかった。
柄本明、安藤サクラ、小籔千豊、きたろう、でんでんと癖の強い人を好むようだが本人の存在感が強すぎて役ではなく本人にしか思えない、これもテーマに沿った監督の意図なのでしょうかね。
最近も昭和の連続企業爆破事件の犯人が偽名で50年も潜伏していたというニュースを観たばかりだからか、犯罪者かと想像したが「砂の器」のような悲劇、もっともこちらは単なる現実逃避。
ミステリーにしては雑味が多すぎるし、稚拙な心象描写っぽいシーンが多すぎ、特に自身も別人に変わろうとする弁護士のラストシーンは蛇足でしょう。
生命保険の件があるから本人探しを弁護士に依頼したんでしょうね、愛していたなら戸籍などどうでもいいし、生前の夫の苦悩を知っても今更どうなるもんでもありません、安藤サクラの心のうちは、あなたの過去など知りたくないの~♪の唄でしょう。
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