コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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好感度満点の家族たちに魅せられる。
実際のろう者やCODAの人たちのこの映画に対する批判や違和感についての記事やコメントをいくつか読んだ。聴者である自分なりに想像して、納得のできることがほとんどだが、それでもどこまで理解が及んでいるのかは自信がないし、この映画を手放しで賞賛するのは、確かに聴者の特権かも知れないとも思う。
ただ、自分自身の感じ方を優先させてもらうと、ろう者の俳優が本当に生き生きと芝居をしている映画を初めて観た気がするし(『サウンド・オブ・メタル』の場合はむしろドキュメンタリー的な演出が光って見えた)、とにもかくにもあのやかましい家族たちへの愛着が湧いてくる作品に仕上がっていた。
終わりどころを見失いかけたように感じたり、恋人役の男の子が笑うくらい添え物感があったり、完璧な映画ではないが、好感度の高さでは2022年のアカデミー賞候補作ではピカイチかも知れない。
明るくてユーモラスな家族の風景が物語るものとは
今年のアカデミー作品賞候補作の中でも、見終わった後の感触の良さではピカイチ。家族の中で唯一健聴者である娘が、生まれながらに恵まれた美しい声と音楽の才能を武器に羽ばたこうとした時、家族それぞれがしがらみや常識にとらわれない自由な生き方を受け入れ、肩を押す。その過程で、なぜ、自分がそんな家族の言葉となって他者との橋渡し役を請け負わなければならないのか?と言う娘の不満や、彼女を引き止めたい母親の思いや、聞こえないことのハンデそのものが描かれるが、なぜか、それほど悲劇的な雰囲気はない。すべては、めちゃめちゃ明るくてユーモラスで、時々"奔放な"家族の風景にあると思う。この種の突き抜けたユーモアはアメリカ映画ならではだろう。
結果、この家族が持つハンデの大きさが逆説的に伝わり、一方で、我が子が年頃を迎えて自立しようとした時、世の親たちはいかにエゴを捨て、子供の未来を信じられるかというテーマが浮かび上がる本作。聴覚障害者の父親を豪快に演じるトロイ・コッツァーは助演男優賞を本命だが、惜しくも候補から漏れたものの、エミリア・ジョーンズ演じるヒロインと絶妙の掛け合いで笑わせる兄役のダニエル・デュラントの好感度が抜群だ。もし、興味があれば、YouTubeにアップされている撮影の舞台裏を映した映像の中で、撮影最終日を迎えたデュラントが号泣しながら共演者たちと抱き合うシーンがあるので見てみて欲しい。そこには、製作の過程で彼らの中に生まれた絆の強さがしっかりと残されていて、もう一度感動が蘇って来るはずだから。
あざやかなリメイク
フランス版『エール!』の精神はそのままに、いくつかのアレンジを加えてより洗練された家族ドラマに仕上がっていた。フランス版では畜産農家だった一家を漁師になっており、一家の息子は主人公の少女より年上に設定し直されている。物語の根幹に変化はないが、色々なアレンジが物語の深度を深めている。
朝早くからの仕事で疲れて、授業中に寝てしまった主人公が教師に起こされるシーンが印象的だ。急に起こされた主人公は、とっさに無意識で手話を繰り出す。彼女にとって手話は自然言語であることがよくわかる、さりげなく重要なシーンになっている。
家族で唯一健聴である主人公は、家族と世間の媒介役とならねばならない。聾唖の世界はそれ自体が1つの文化であり、『サウンド・オブ・メタル』ほど強く打ち出していないが、ある種の異文化衝突的な側面が描かれる作品でもある。
主人公の合唱を会場で見る家族は聞こえないがゆえに疎外感を体感させる演出は、フランス版でもあった。フランス版はわずかに風が吹いているみたいな音を残していたが、こちらは完全に無音を作った。どちらがリアルに近いのかはさておき、完全無音はより強いインパクトを残すなと思った。
人生を潤わせ、力強く後押ししてくれるもの
そうきたかと何度も笑い、心揺さぶられた。歌や家族やハンディキャップや自己確立などの要素を織り交ぜ、やがて無二のハーモニーへ昇華させていくひととき。観ている序盤はこの映画をなんらかの既存の枠組みに当てはめようとする自分がいたが、途中からそんなことは何の意味も持たないことに気づいた。本作を介すと、これまで見えてなかったものが見えてきて、聞こえてなかったものが聞こえてくる。最たるものと言えば、思いがけない手法で描かれるコンサートの一場面か。その瞬間、眼から鱗が落ちたというか、ああ、この映画を観てよかった、大きな気づきをもらえたと、感じた。何かが欠けてるとか、秀でているとかではない。あらゆる人々が各々のやり方で懸命に人生を奏で、なおかつ大切な人のハーモニーを全身で受け止め、応援したいと願っているーーー。家族というかけがえのない存在を抱きしめ、己の人生を前進させようとするバイタリティに満ちた秀作だ。
説得力ある伸びやかな歌唱。名曲『青春の光と影』の選曲も秀逸
主演の英出身女優エミリア・ジョーンズ、あまり記憶に残っていなかったのだが、プロフィールを見たら「ゴーストランドの惨劇」(2018)に若い時のベス役で出演していた。同作では黒髪だったこともあってか、10代後半の約3年でずいぶん印象が変わるものだと驚かされる(現在19歳)。そしてその柔らかな声質と表現力豊かな歌唱にも感心したが、8歳で子役としてキャリアをスタートさせ、9歳でミュージカルの舞台に立っていたとか。なるほど納得のパフォーマンスで、彼女が歌う映画をもっと作ってと切に願う。
両親と兄がいずれも聴覚障がい者で、家族で唯一健聴者の高校生ルビーが、合唱部顧問に歌の才能を見出され、バークリー音楽大学を目指す話。家族同士の会話や罵り文句に性的な表現をよく使う両親など、聴覚障がいのある3人を個性豊かなキャラクターとして描いているが、家業の頼りにされ夢を追うことを反対される子の悩みといった普遍的なテーマもわかりやすくストーリーに織り込まれている。基本的にルビーの視点で進むのだが、父兄を招いた高校の発表会、ルビーがボーイフレンドとデュエットして他の聴衆が盛り上がる場面で、無音になり家族3人の“聴こえない感覚”を疑似体験させる演出は胸に迫るものがあった。
ルビーが入試で歌うのは、ジョニ・ミッチェルの名曲『青春の光と影』(Both Sides, Now)。「若い頃の楽しい体験と、苦労や悲しみといった両面も、振り返ってみると幻のよう、人生なんてわからないもの」といった内容の曲で、映画のストーリーにもぴたりとはまっている。ほかにも合唱部で歌うデビッド・ボウイの『スターマン』など、選曲のセンスもとてもいい。
題名の「CODA(コーダ)」が「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」を指すというのは初めて知ったが、もちろん音楽用語で終結部を意味する「coda」にもかけたダブルミーニングだろう。唯一の健聴者として家族を支えた子供時代の終わりを描く本作は、ひとり立ちして大人の時代へと歩き出すすべての若者を祝福する応援歌でもある。
歌と脚本が良い作品は、かなりの確率で名作! 少しでも気になる人は是非見てほしい作品!
私が一番相性の良いと思っている映画祭にサンダンス映画祭があります。特に観客が選ぶ「観客賞」は割と名作が多い印象です。
本作は、数々の名作を送り出してきたサンダンス映画祭において、2021年に「観客賞」「審査員賞」「監督賞」「アンサンブルキャスト賞」という史上最多となる4冠に輝いているのです!
そして、配給権がサンダンス映画祭史上最高額の約26億円で落札されています。
これは分かりやすい事例では、2006年の「リトル・ミス・サンシャイン」があります。2006年にサンダンス映画祭で上映され、フォックス・サーチライト・ピクチャーズが当時のサンダンス映画祭史上最高額で配給権を獲得しています。
その後「リトル・ミス・サンシャイン」はアカデミー賞で作品賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞の主要4部門でノミネートされ、助演男優賞と脚本賞を受賞。
本作「コーダ あいのうた」は、私の中では「リトル・ミス・サンシャイン」に近いイメージがあります。
特に物凄い事件が起きたりはしませんが、家族などの日常をユーモアを交えながら丁寧に描いているのです。
そして、本作は何といっても歌が良い。しかも、その演出手法も独自性があって上手いのです。
タイトルの「CODA(コーダ)」は、「Children Of Deaf Adults= “⽿の聴こえない両親に育てられた⼦ども”」を意味しています。
もっと具体的に言うと、父・母・兄との4人家族の中で、主人公の女子高生ルビーだけ耳が聞こえます。
そのような設定のため、「割と暗めな作品?」と思う人もいるでしょう。
ところが、脚本やキャストの演技が最高で、決して嫌な暗さは感じさせません。
本作は現時点ではアカデミー賞の前哨戦であるゴールデングローブ賞で作品賞(ドラマ部門)、助演男優賞にノミネートされています。
「リトル・ミス・サンシャイン」のようにアカデミー賞にも期待がかかりますが、もう本作は賞レースとかどうでも良いとさえ思えるくらいの「名作」だと思います。
なので「リトル・ミス・サンシャイン」が好きな人など、本作が少しでも気になる人には是非とも見てほしい作品です。
Another Welcome Drama on Deaf Community
Coda is the story of a a deaf family's hearing daughter. The father is a fisherman, and when the local feudal lord toughens working conditions, her service is needed. But her pursuit for a music academy becomes an obstacle. It sounds like a Disney movie, but it's more like Sound of Metal mixed with Manchester by the Sea. A welcome film for exploring society's inclusion of the deaf community.
良作だがアカデミー賞受賞は正直疑問、肝心の「歌」に爆発力が無い
フランス版「エール」のリメイク、トロイコッツァーはじめ俳優陣の演技、脚色は素晴らしい。
あらすじは特に書かないがこの作品のキモはなんと言っても主演エミリア・ジョーンズの歌唱力。耳の聴こえない家族の中、唯一聴こえる彼女の才能である“歌”で奇跡を起こすという話しは、まさに「スター誕生」のサクセスストーリーなのだが、肝心の「歌」に爆発力が無い、勿論下手な訳では無いし充分上手いのだが、「アリースター誕生」のレディーガガに及ばないのは仕方ないとしても、AGT(アメリカズ・ゴット・タレント)・BGTに出てくる素人の方がはるかに鳥肌立つほどの爆発的歌唱力を披露している。
歌のもつ力がどれほどのものなのかを表現してこその本作。コーラス部の合唱シーンもドラマ「グリー」の方が良いのでは無いかと思う。
映画作品なので、奇跡的サクセスストーリーを期待していると肩透かしかもしれない。
この年のアカデミー賞最多ノミネートは『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(Netflix作品)(その他「ドライブマイカー」もノミネート)
アカデミー賞作品賞の投票は、アカデミー会員の全員に権利があり、10本のノミネート作品からランクづけして投票するのだが、1位が一番少ない作品が却下され、それを1位にした人は2位が1位になるという繰り上げ方式で、結果的に最後に過半数をとった作品が受賞となる。つまり極端に賛否が分かれる作品は残りづらく「誰もが素直に感動できる」作品ということで、予想外の受賞となったとも言えるのかもしれない。
言葉が汚い彼ら、美しい音色を奏でる生活
聴覚障害者の彼らが聖人として描かれることなく、言葉は汚く、性的な人間として描かれているのがよかった。
過度に障害/障害者像を脚色することなく、普遍的なヒューマンドラマに翻案したからこそ、アカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞を受賞したのだと改めて思う。
秋の学内コンサートのシーンで、ルビーの歌声を掻き消し、彼女の家族の音が聴こえない世界を表現していることはやっぱりいいと思った。しかもこの視聴覚経験は映画館で観たからこそより際立つものであった。
他にも彼らがルビーを搭乗させず漁をすることで取り締まりを受けるシーンとルビーが気になっている彼と遊泳禁止の海で戯れるシーンが編集で繋がっている。
家族が法を破って罰則を受けることとルビーが法を破って恋を成就させることが見事な非対称性を帯びていてそれもよかった。
そして音楽の力も凄いなと。
音は振動する波である。それらが合唱で共振する時、共通感覚が生み出され、美しい作品になる。また例え音色として誰かに届かなくても、音の波が聴いた者の心にしっかり届くのである。ルビーに触れて父が歌声を享受するように。
魚の不当な搾取に抵抗するために協同組合を組織することーしかもルビーの家族が当たり前にトップを務めているーも示唆深く、みてよかったです。
「伝わらない」もどかしさ、苛立ち、諦め「伝わる」喜び、希望、温かさ、繋がり
いろんな考察や感想が頭のなかで渦巻いているんだけど、何を言ってもきれいごとになってしまう。私はルビーの葛藤を理解できても共感することはできない。ルビーは幼い頃から健聴の「CODA」として役割を担い、その役割を果たさないと親兄弟が家族として機能できない。
言い方は悪いが「親」を人質に取られているようなもんだ。親として機能してもらうには自分がいなくてはならない。
ルビーの両親だって、愛のない人たちではない。精いっぱいの努力で地域で子育てをしてきて、聴こえない分の情報の少なさもどうにか補って生きてきたたくましい人た ちだ。ただ、自分たちが知らない世界に娘を送り出すって誰だって怖いよね。
本作では「歌」を家族の役割再編成のツールとして効果的に使っている。
もうひとつの「coda」へと向かって。
最後にマイルズも言ってたけど、ルビーはもう実家に帰って来なくていいと思うんだ。両親と兄貴もルビーがいたから考えなかったことを考えるときが来たんだよ。いくら親子だからって誰かが犠牲を払って成り立つことはホントはちゃんと成り立ってない。だからルビーはルビーの人生を歩くべきなんだ。
前半ほんとにルビーが気の毒で辛かった。 特に合唱部に入ったって言っ...
前半ほんとにルビーが気の毒で辛かった。
特に合唱部に入ったって言ったときに「反抗期なの?」ってひどすぎる。
でも兄のセリフや行動を見てるとちょっと印象が変わってきて、ルビーが家族を守らなきゃいけないって思ってやってることが逆に自立を妨げてるんだよね。
「家族の犠牲になるな」って言葉にはそういう意味も込められてるんだと思う。
音大に推薦されるほどの歌唱力ではなかったけどピュアな歌声は素敵だったし、音が消えて聾者視点になる演出も切なくて良かった。
本当の愛とは
不器用でもいい。間違ってもいい。そこに本当の愛さえあればきっといい家族になれるんだろう。ルビーのお兄さんは、一貫してルビーの自由な未来を願っている。自立するために仲間と飲み会に行って関係性をつくろうと頑張ったり、1人で業者と取引しようとしたり、ときにはルビーに頼る家族にも反発する。兄としてずっと妹の未来を願っている。ろう者であっても、支えられるばかりになりたくない。頼れる兄貴でいたいから。お母さんは、典型的な子離れできていない母親だった。親にとって子どもはずっと子どもだというけど、こういう親多いんじゃないかな。ろう者と聴者の隔たりをいちばん感じているのもお母さんだ。それはきっと自分の親と自分がうまくいっていなかったから。ルビーは「ダメな母親なのは、耳のせいじゃない」と冗談まじりに言う。それはきっと本音だろう。耳が聞こえるかと心が通じ合えるかは別問題だ。それはこの映画が教えてくれる。人間は自分にコンプレックスがあるとき、つい不都合をそのせいにしてしまいがちだ。でもそのせいじゃないことは多くある。例えば容姿に自信がない人は、人間関係や恋愛がうまくいかないとき要旨をその原因と思い込んでしまうが、実は内面の問題だったりする。障がいだって同じだ。人間にとって障がいの有無などほんの一部分に過ぎない。けどそんな母親も、不器用ながらルビーを愛している。お金がない中でも娘のために赤いドレスを買ってあげたり。不器用でもストレートな愛情はきっと届く。お父さんは、誰よりもルビーの可能性を信じている。理解したいと心から願っている。コンクールで、ルビーの表情、観客の様子を見渡し、ルビーがどれだけ音楽を好きか、才能があるかを理解しようとしている。音がない世界で、ルビーの歌を感じたいときっと誰より願ってる。不器用で綺麗な形の家族ではないかもしれないけど、疑いようのない愛情がそこにはある。それはきっといちばん大事。V先生も愛情を持っている。ルビーの才能を信じ続け、最後まで諦めず細い道を作っていてくれた。家族のことも、他の人から馬鹿にされていることも関係なく、1人の生徒としてときには厳しく正面からぶつかってくれる。この映画のキャストは実際にろう者が演じている。みんな素晴らしい演技だ。お父さん役のトロイ・コッツァーは助演男優賞を獲得した。悲劇の対象として、守られるべき存在として障がい者を描くわけでなく、自立した魅力的な人物として描いているところもいい。この映画はアカデミー作品賞をとった。このような素晴らしい映画が最高の評価を受けて本当によかった。
素敵なオリジナルあっての素敵なリメーク
第94回のアカデミー賞で作品賞・助演男優賞・脚色賞、ノミネートされた部門すべてを制覇、まずは拍手を贈りたい。2015年のフランス映画『エール!』の英語版リメークである。前年のサンダンス映画祭でのグランプリがあったとはいえ、アメリカ国内での公開はAppleTV+での配信のみ。この年アカデミー賞大本命『パワー・オブ・ザ・ドッグ』とともに、配信作の主要部門でのノミネートは今や当たり前の時代になったが、今回配信作初の作品賞受賞はアカデミー賞の歴史に残る快挙といっていいだろう。
オリジナルではパリ郊外の酪農家一家だった設定が、今作では漁港の町に暮らす漁師の家族の物語に変わった。四人の家族のうち3人が耳が聞こえない。ただ一人健常者の娘が家族の耳になっている。一家の誰もがそれを当たり前のこととして受け止め、障がいのあることが嘘みたいに明るく真っすぐに生きている。その娘が都会の大学への進学を前にして、家を離れることが一家の問題として大きくのしかかってくる。前作から本作へと受け継がれる基本的な設定だ。だがここで重要なのは、家族の成り立ちが変わったことで、一家から娘がいなくなることによる家業への影響の度合いがより深刻になった点だと思う。酪農家なら気楽で漁師なら深刻だなどというつもりは全くない。どちらの家族にとっても大きな決断を迫られる問題なのだ。あっけらかんとしてどこまでも明るかった前作に比べ、今作ではどこか深刻な気配が漂うのは、この家業の設定の改変によるところが大きいからなのだと思う。
前作では姉と弟だった兄弟の設定が今作では兄と妹に変わったことでのめぼしい効果は今作の美点になった。進学をあきらめかけた妹に「家族の犠牲になるな」と手話で激励する兄。自分の障がいが妹の人生までをも変えてしまうことへの怒りや悲しみ、妹を思う兄の心根が胸を打つ。前作にはなかった今作の素晴らしいシーンの一つだ。
一度はあきらめた進学のためのオーディションの朝、誰より早く一番に起きて娘を揺り起こしオーディションを受けろと衝き動かす父。車に乗って一家総出で会場に向かう家族。「出て行く私を許して。逃げるんじゃない、旅経つんだから」と手話を交えて歌う娘。聞こえないその歌に精一杯のエールを送る父母と兄。映画終盤の流れはきっちり前作を踏襲してやはり胸を打つ。オリジナルへのリスペクトである。
もし前作を見ていない人がいたら、DVDでも配信でもいいから是非見てほしい。アカデミー賞で作品賞を獲得した映画にはこんな素敵なオリジナルがあったこと。本作の制作に関わった人たちが、どうしてこれをリメークしたかったのかが必ずわかると思うからだ
単なる苦境を克服して誕生する歌手のサクセスストーリーではない
🔳押し付けないハンデある人たちの心情
聴覚障害というハンデを持ちながら強く生きる家族に対し世間は必ずしも優しくない。それでも明るく、時には社会の不条理にそれぞれの形で立ち向かう家族の姿が自然と見ている人の心を引き込んでいく。
🔳第一クライマックスの静寂がどんなメッセージをも超越
衝撃的な表現力だった。どんな観客も主人公の美しい歌声を聴きたくなるだろう。ましてやその歌声それが家族なら。そんな家族の気持ちを表現するための表現は主人公の最高の歌を期待していたものに実に容赦無い。ここで見るものの誰もが主人公に家族側が背負ってきたハンデの凄まじさを知ることになる。単に歌手のサクセスストーリーを描きたかったのではないという監督の信念を感じさせられた。
🔳トレードオフされているヤングケアラー問題
聴覚障害の家族の元に生まれた主人公はヤングケアラーにあてはまる。この主人公は自分の歌に希望を見出すことが出来た。現実にはそうした境遇にない人が少なくないであろう。声もあげられず、与えられた境遇に甘んじながら生きている子供たちがいることに思いを馳せるとこの作品を手放しで賞賛しづらいものがある。
🔳聴覚障害者にとって手話の歌とは
さらに聴覚障害がある人に手話で歌を共有する価値を過大に評価していないだろうか。音の振動のリズムと手話が調和して伝わる感覚やその他にも視覚で音楽を表現する試みはあるだろう。それで聴覚障害者も一緒に感動を共有しているかどうかは聴覚保持者は確信を持てないはずだ。それでもそうした試みの価値は評価されて良いが、真に感動を共有できる手段を追求しないと単なる思い込みで終わってしまう。
手話は、世界に溢れる言語のひとつ
手話は、世界に溢れる言語のひとつ。
優しくて美しい、
コミュニケーションのひとつなのだと気づくはず。
素晴らしかった。
ただ、素晴らしかった。
後半ずっと泣いてました。
「コーダ」とは、
「Children of Deaf Adults」の略で
耳が聴こえない親を持つ聴こえる子どものことを言うそう。
両親と兄、家族の中で1人だけ耳が聞こえる歌が好きな女の子。
これは、彼女の困難と葛藤、そして生き様を通して描かれる、家族の愛と成長の物語。
ろう者視点とコーダ視点、健聴者視点それぞれの世界がリアルに描かれていて、『マイノリティとどう向き合うべきか』を突きつけられる。
セリフの一つ一つ、手話の一つ一つが突き刺さった。
歌が好き。
なぜわかってくれようとしないのか。
逃げたい。苦しい。理解したい。助けたい。
愛してる。
それぞれが、それぞれの環境や境遇の中で自分の人生を生きている。
それを知り、考えること。
大切だと思わせてくれる素敵な作品でした。
是非とも映画館で
それぞれの"音"を楽しんでほしい。
☆☆☆☆ 配給会社、タイトル狙いすぎ(u_u) まあ、それは置いと...
☆☆☆☆
配給会社、タイトル狙いすぎ(u_u)
まあ、それは置いといて…
とても良かったなあ〜(´ω`)
ここまでウェルメイドに徹して作られていると、好感が持てる。
但し、少しばかり毒っ気のある作品が好みな人にはオススメしませんが、、、
実は鑑賞後直ぐにネット繋がりの映画仲間に「超オススメ!」と伝えたところ。
「リメイクですよね!」との返事。
「?」あらら本当だ!ここ数年は、鑑賞前には予告編以上の情報を観ずに鑑賞する事が多いので。
(原作本がある日本映画はまた別として)
この作品がフランス映画『エール』のリメイクだった事を知らずに鑑賞していた。
慌てて、当時の自分のレビューを見ると…
あらららら、、、日付と劇場名だけ💧
確かに鑑賞中には既視感強めに感じていたのは事実。でも直ぐに『エール』の事を思い出せなかったのだから、それ程には自分には刺さらなかったのだろう(。-_-。)
前半からかなりの下ネタを繰り出しては観客を笑わせて行く。
でもその下ネタが、決して観ている観客に眉をひそめさせる下ネタではなく。寧ろ微笑ましい下ネタなので、観客側に嫌な思いを抱かせない。
真面目な場面が続いた後には、そんなクスクスとさせてくれる場面がある為に、どんどんと引き込まれて行った。
とかく聾唖者を扱うだけに、深刻な内容になりやすいところでの笑いの場面でもあり。私の様な健常者でも、聾唖者の人の気持ちに寄り添えているのでは?との思いにさせて貰える。
(但し、その思いが果たして聾唖者の方達から観て、どの様に映ったのか?は完全には分からない。当たり前の事なのだけれども…)
と、ここまで書いたところでやっと元ネタでもある『エール』のストーリー展開を思い出して来た。
ほぼ元ネタ通りのストーリー展開だったのではないだろうか。(ちょっと記憶が怪しいですけど)
おそらくは、最後のオーディション場面で涙腺崩壊する人が多いのではないでしょうか?
実際問題、私もこの場面で遂に涙腺崩壊を起こしたのです。
でも、そこに至る前の場面にこそ私の心に刺さった場面がありました。
それこそが、ルビーの歌声を(心で)初めて〝 聴いて 〟周りの人達の喜びの表情から感じた《家族》の想いでした。
特別に凄い演出であったり、映像に凝っていたりするわけではないのですが。的確に観ている観客の心の隙間に入り込んで来る爽やかな風の匂いを感じたのでした。
あの黒澤明が生前に言った言葉をちょっとだけ思い出した。
「作品にはそれを作った人の性格がでるんだよ!」
(正確ではないけれど、それに近い意味で)
この作品を監督したのは女性で、まだ作品数はこれで2本目らしいですね。
その演出であり作風から、心優しい人なのでは?との思いをさせてくれて、早くも次回作品が楽しみになっています。
ところで、多分元ネタの『エール!』には無かったと思えるのが、若い2人が池の上にある大きな岩から飛び込む場面。
スティーブ・テシックの自伝的脚本でピーター・イェーツが監督した青春映画の傑作『ヤング・ゼネレーション』
アメリカ映画界では名作との認識が浸透しているだけに。岩や崖から池や湖に飛び込む映画が有ると『ヤング・ゼネレーション』?と、ついつい思ってしまう。80年代映画大好きおっさんであります(^^;;
「◯◯になるな!」
兄貴かっこいいぞ!
2022年 1月21日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン9
ここで見る星は海で眺める星ほどキラめいてないな
コンサートがあった日の夜、父親がさりげなくルビーに伝えたこのメッセージが印象的だった。
ここで見る星=家業を継ぐルビー
海で眺める星=歌手として輝くルビー
と解釈した。
耳が聞こえないから娘のボーイフレンドがいることに気付かずイチャつくシーンや、父親の品の無いメッセージを翻訳させられるルビーには笑ったが、CODAのリアルを思い知らされた。
そして家族愛に涙なしには観られない作品。
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