パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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割り切れない過去とどう向き合うか
終盤に入るまでノラの気持ちを理解はできても共感まではできなかったため、あまり入り込めませんでした。しかし、ノラとアーサーとの生活が描かれ、二人が抱きしめあうラストシーンを見て、色々なものが腑に落ちました。
選べなかった過去と打算の中で関係を築いた現実の間では、どうしても前者が甘美なものに見えてしまうのは必然。しかし、その一方で前者を選ばなかったことには理由があり、今の現実を積み重ねてきたことにも理由はあるのです。
それらを理解した上で深夜のバーで想い出に酔う二人に寄り添い、ヘソンを見送った後のノラを優しく抱擁できるアーサーは、それはそれは強い男なわけです。12歳からほとんど成長していない男では相手になりません。
ノラとの再会の抱擁に戸惑っていたヘソンも、別れの際には自分からしっかりとノラを抱きしめられるようになっており、ニューヨークの数日で得たものは少なくなかったはずです。帰国してからの彼は、大人の男として、新しい愛を築くことでしょう。
ただ、これらの話を「イニョン」という言葉で説明することは欧米の方々には新鮮だったかもしれませんが、同じ東洋人としては馴染みがある概念であるため、そこまで心に強く残るものではなかったです。あと、12年という時間を一区切りとして普通に受け止めるのも干支の文化がある国の人間ならではのことなんですかね。アーサーは二人の関係を雑に「20年」と表現していましたし。
シランケド
アカデミー賞ノミネートで話題になっていた1本で、先行公開してたタイミングで行けずでちょっとずれ込んだタイミングでの鑑賞。
大人の恋愛でもしももたらればも何もない現実一直線の作品でヘンテコな恋愛作品が好きな自分とは相性が悪かったです。
24年前に子供の時にした初恋、12年前にパソコン上で再会した2人、そしてNYの土地で再会したノラとヘソン、そんな2人の初恋の終わりの物語ですが、
年齢設定はかなり疑問が出てしまうくらいには24年の月日がうまく表せていない気がしました。20代にしては歳取りすぎでは…と。
邦画では感じることはあっても洋画で感じることはなかったのでその点もちと残念でした。
2人がNYで再会してアーサーをほったらかして2人で過去話したり、前世やら何やらの話をしている時、お前らは一体何をしているんだ?というのが強く、2人で出かけたりしてもナヨナヨっとした会話の連続で乗れませんでした。
役者さんが悪いわけではないんですが、ノラにこれといった魅力が劇中一切感じられなかったのが今作の1番の欠点だなと個人的には思いました。
どこか高圧的で、アーサーもヘソンも振り回されっぱなしで、というか20年以上前の初恋の人を家に招いたり、一緒に飯食いに行ったり、2人で出かけたりとか、自己中すぎる行動にはずっと疑問符が頭の上に浮かんでいました。あとずっと薄着だったのが謎すぎました。
「秒速5センチメートル」とオチ以外は似ている部分があるのに、なぜこうもハマれなかったのか、アニメと実写の違いなんでしょうか。一考の余地があるなーと思いました。
縁や前世の話がアカデミー賞のどこかに刺さったのかなぁと思いました。ラストシーンは印象に残るものでしたが、そこまで過程が何とも言えず…。
現実とはこうだというリアルさに全編通してハマれなかったです。
鑑賞日 4/14
鑑賞時間 10:00〜12:00
座席 B-9
静かで綺麗な映画。たらればって別に悪いことじゃないのでは?
自分の中で映画ブームが来ていますが、いかんせん初心者なので、まずは今年のアカデミー作品賞ノミネート作品から順に見ています。パストライブスは、いろんなメディアでオススメされていて気になっています。
会話劇とそのストーリー性が特筆される作品だと思いますが、個人的には映像美を強く感じました。
2人が再会するニューヨークは、雨で始まります。そのシーンが美しいです。
2023年に渋谷で写真展が開催されていたニューヨークの写真家ソールライターの作品に似ていると感じました。ニューヨーク、雨、赤という個別の要素が勝手に繋がっただけですが、自分の記憶と映画がリンクするというような楽しみ方ができたのも嬉しかったです。
登場人物は、主人公のノラ、初恋相手のヘソン、夫のアーサーの3人で構成されています。そして会話は、3人中の2人で構成されます。
3人が使う言葉の違いが、ストーリーをより多層的にしていると思いました。
ノラとヘソンは、韓国語。ノラとアーサーは、英語。ヘソンとアーサーは、カタコトの韓国語と英語。
この言語の違いは、時間軸の差も表しているようでした。
ノラとヘソンの韓国語は、ノラにとってはifの世界で、リアルではありません。韓国語の世界には、ヘソンとの幼い頃の楽しい思い出がいっぱいあるし、寝言は韓国語になるくらいかなりパーソナルな世界です。ただし、その世界は過去です。
ヘソンにとっての韓国語は、時間軸は連続していて過去から現在に繋がっていて、ノラとの進展も望むための言葉で、時間軸は現在です。アーサーにとっては入れない遠い世界で、寂しさを感じる言語です。
逆に英語は、ノラにとって現実世界での言葉で、成し遂げたいことやりたいこと、そしてライターとして生きる自分とそのパートナーであるアーサーとの話す言葉です。アーサーにとては、英語で喋るノラを見ている。ヘソンは、英語を喋るノラは、少し遠い人に感じていたように思います。
劇中でノラがどの言葉で喋るかで、どの世界に、どの気持ちになるかが変わっているようで面白かったです。多くのタラレバが出てきますが、どれも後悔とか後ろ向きな話じゃなくて、それぞれの世界でみんなの幸せが残り続けているように感じました。
でもやっぱり切なくて、最後アーサーが軒先で待っているところ、そこに抱き止められるノラの涙は、ヘソンに戻りたい訳ではない、けどこれが最後かもと思う悲しさが溢れているようでした。
派手さは全くないですが、静かに、美しく、じんわり広がる映画でした。
突き放す距離で
Past Lives
両側からの片思いを長く続けた。否定をしたいが、時間は経ち過ぎていた。その期間にも人生は続いていて、再会を一口に言葉に表すことは難しい。
イニョン(縁)を自分に良い方に捉えて、それ一つで挑むのは、ニューヨークで活躍する作家相手では無謀な気もしたが、少し間延びした問答でも意外と心を動かせている、と印象を受けた。思えばやり取りから文化が違う、妻の昔を良く知る知人に、夫が焦燥感を抱くのは自然だ。
テーマに比べて、いい意味で突き放した撮り方をしていると感じた。再会の絵とかつて遊んだ彫刻の一瞬の重ね合わせ、12年前ですらまだ子供だった。今は、前世の何回目だろうか。
ネット時代のお気軽ラブロマごっこ
正直、大人のラブストーリーだの共感できるだの言われてもまったくおもろないものはおもろない。小学校時代に好感をもってた女の子を、大学ぐらいになってネットで検索してやっと連絡をとりスカイプで交流していい雰囲気になるけど、お互い外国に会いにいくまでの気合なく、そうこうしているうちに女が距離を取り出す。
それで終わりの話を、男がさらにすでに既婚者となった女にあいにNYまでいくってもう半分ストーカーですね。それで話が進めばともかく、どちらも煮えきらないだけの男女が「前世の縁がなかったのよ」の結論で終わるだけのつまらん話。
あと現代の韓国の英語教育からみて、主人公の韓国人の男があそこまで英語が喋れないとは思い難いんだが。
海外で生活し、他国籍のひとと結婚し生活するアジア系のひとびとの生活実感はとてもよく表現されていたし、カメラワークや構図など映画技法的には優秀だな作品だと思うがこのプロットは呑み込めませんでした。ネット時代のお手軽再会ラブロマごっこものですね。やっぱラブロマものは苦手だ。
映像と間と秒速
まず特筆すべきは写真家ソウルライターを想起させもする美しい映像。ところどころ長回しで間を取る演出も持たせられる。筋はなんともやるせない気持ちにさせるものだが、大人が見るのに適した良い作品だと思う。
子供の頃好きだった相手をずっと引きずる男といい思い出ではあるが男ほど引きずってはいない女。新海誠の「秒速5センチメートル」を思い出したりする。二人の感情には東洋と西洋の違いや、別れた後の人生の充実度なども影響している。またそれでも女は別れたあとに、夫に抱きついて嗚咽も漏らす。一面では語れない。
ちなみに主役のグレタ・リーはAppleTV+の傑作ドラマ「モーニングショー」で顔なじみだったことも鑑賞の動機なのであった。
後戻りできないことを確認するが如き
これは結構好きだった。
韓国、ソウル、12歳の少女ノラと少年ヘソン、互いに恋心を抱く幼なじみの二人。ノラが家族と海外へ移住し離れ離れになった。
ずっと一緒にいたんだろうなぁ。
二人でどれだけの時間を過ごしたことだろう。
12年後の24歳、ニューヨークとソウル、偶然SNSで再会したが「距離」を克服する術はなかった。連絡は途絶えた。
ノラは間もなく結婚し、ヘソンにも彼女ができたようだが、、、
更に12年後の36歳、ニューヨークで24年ぶりの再会。愛おしくもクールな再会だった。決して後戻りすることができないことを確認するが如き。
観る自分は何故か涙が流れた。
清々しい涙だった気がするが果たして?
ノラの旦那さんがナイスガイ過ぎて。そう、「ファースト・カウ」、「ショーイング・アップ」に続きジョン・マガロが美味しいところを持ってった感じ。
いろんな種類のイニョンがあるよね
抑えのきいた渋い大人な映画だった。イニョン(縁)という言葉の響きが可愛い。ラブストーリーと言われてるけど24年後の再会、すごく嬉しいけど、なんか…話すことない…みたいな空気を二人の間に感じたから今の夫アーサーに「大丈夫だよ。君が運命の人よ」と言ってあげたくなった!
久しぶりに出逢えた、大人っぽいビターなラブストーリー
ダイナミックで美しいニューヨークの街並み、そして雑多でエネルギッシュな韓国の街並みをバックに綴られる、切なくてほろ苦くて、すごくロマンティックな作品
セリーヌ・ソン監督、これが監督・脚本デビュー作でしかもオスカーの作品賞と脚本賞ノミネートとは、またとんでもない才能が生まれました、素晴らしかったです
ノラを演じたグレタ・リーさん、全身から出る雰囲気が何とも魅力的、特に表情が良くてすごく素敵でした
そんなノラが偶然facebookで幼なじみのヘソンと12年ぶりに再会するも、ニューヨークとソウルの距離は遠く直接会うことができず、想いがつのり過ぎて辛すぎて、本音とは裏腹に引き裂かれる想いで自ら関係を断ち切ってしまう、たぶん自分も同じタイプなのですごく共感できて、観ていて一番 辛かった展開です
ノラのアメリカ人の夫アーサーの存在がまた切なすぎる、演じるジョン・マガロさんがめちゃくちゃ味があって良かったです
妻の幼なじみへの想いを感じ怯えるも彼女の全てを受け止めて優しく接しようとするアーサーが観ていてとても辛かった
韓国語で寝言を言うノラに“自分には君の中で永遠に理解できない部分があるんだと不安になる”と伝えるシーンは涙ものでした
ノラとアーサー、そしてヘソンの3人がバーカウンターで話すくだりは何だか緊張感たっぷりで、観ていてものすごく疲れました・・・
本作、ノラとヘソンの関係に目が行きそうな所ですが、私はどちらかと言うとノラとアーサーの関係、特にアーサーの心持ちの方に感情移入してしまいました、やけに辛かったです
ラスト、夜のニューヨークの住宅街、ノラがヘソンをウーバーに送って行くロングショットがとても切なくて印象的
さらにノラが1人で同じ道を帰って行くロングショットがもっと切なくて、最後に家の前で待つアーサーが泣いてしまったノラを抱き締めるまでの一連の流れが自分の中で久々に忘れられない名シーンとして刻まれました
観てよかったなと思えた秀作でした
どっちも失いたくないけど…
選ばなかった人生の方が、
キラキラして見えるのかな…
選ばなかったから、妄想するしかなく、それは都合の良い妄想になるかもだし…魅力的に見えるのかな。
選んだ方は現実だから。
辛いことも起きる…。
アーサーが
階段に座って待ってて…
泣けた…
どんな気持ちで待ってたの…
もう戻ってこないかも…て思ったりしたかな。
こんなに愛し、大切にしてくれる人、いないよね。
どうかこの先、アーサーを泣かさないでください、と切に思った。
忘れられない人
12歳で初恋、24歳でオンラインで繋り
36歳で再会。
24年の歳月は長いよね。
ヘソンはナヨンの事、相当好きだったんだろう。
24歳でオンラインで繋り、もし再会して会って
いたら違っていたのかも。
前世とか輪廻転生あるかもしれないけど
タイミングと行動力も不可欠で運と縁。
仕事やキャリアを優先し選択したら
失う物も出てくる時もある。
常に上昇志向のナヨンと、その初恋時代の
まま立ち止まっているヘソン。
これだけ時が経てば色々とずれてくるよね。
『君の寝言が韓国語だから学ぼうとした』
アーサーの優しさもあったし、文化も知りたいと
思ったのだろう。あと、どこかで不安もちらついた感じもする。
愛して信頼できるアーサーが居たからこそ
3人で会えた。ただあの時のアーサーは切ない。
大人だし理解し待とうとする気持ちだけど
複雑でしんどいはず。
初恋は特別な物なんだと改めて実感。
二人の間で人生を豊かにしてくれた人と
なってくれればと願う。
けっこうよかった
見る予定になかったけどあまりに評判がよくて見る。旦那さんのアーサーが本当にいい人で、同業で心が通じるものがあるのだろう。ベストの選択だ。もしヘソンと結婚したとしてもそれまでの環境が違いすぎて、感覚も違ってうまくいかないことだろう。お互い傷つけあってボロボロになって別れることになる。特にもしノラが韓国に行って嫁いだとしたら、さらに最悪だ。お互い大切に思い合って遠くにいるのがいい。
気になったのが、ヘソンが恋人との結婚について条件が整わないことを理由に取りやめようとしていることだ。条件なんか本当はただの理由で、相手のことを本当に好きならどうでもよくなるはずだ。何がなんでも手放したくないと思えないならどうしようもない。
ノラとヘソンが再会する時に着ていた服がすっごく気合が入っていない。こっちは人妻なんだから変な気を起こすなよみたいなことなのか。別れる時はスリットの入ったロングドレスみたいな魅力的な服だ。
最後のウーバーを待つ間、すっごく見つめっていてキスしろよと思ったがハグで終わった。しかしもしキスしようとして顔をそらされたら、その後のタクシーで顔を覆って悶絶するほど恥ずかしい。なのでハグでよかった。もしキスしようとして拒否られたらその後の人生ずっとそれを背負って生きなくてはならない。あの年でトラウマを背負うのはつらい。
大人だから、言葉にできないから、沈黙で。
名作だ。
クラシックだが古臭くはない、現代のかたちにして。
なんとも切ない、ほろ苦さ極まる作品だった。
しかし悲壮感はなく鑑賞後は温かい気持ちが心にのこる。
「今はもう大人」ノラが言う。
大人・・・? そう、大人だよ。
ほろ苦いというより、本作で描かれた大人の恋事情は二人の男性にとっては「水なしエスプレッソダブル」ぐらいの、超ビターな心境のはず。にもかかわらず、ああこのコクいいね、、こんな人生もあるよね、くらいに装うのだ。大人だから。クゥーッッ!まいったまいった!
ノラさんは夢を追いアーティスティックなキャリアを重ねていて、多分ヘソンの気持ちは気づいてても半分くらい。あんなことあったよね程度に、いい感じに過去化している。それに比べてメンズふたりの、まあ女々しいとは言わないが、ロマンチックなのはむしろオトコの方なのねと。自分の胸に手を当ててみると……さてどうでしょう?(^_^;)
ヘソン ⇔ ノラ ⇔ アーサー
この三人はあくまで点と線だけで繋がっていて、決して三角関係にはならないのだ。おとなだから。でも食事会のあとメンズ二人だけの(おそらくお手洗いでノラが席外した2~3分の出来事)超絶気まずいタイミングで、「良い」三角関係にしようと努力する姿が、何とも涙ぐましかった。オトナダカラなのだ~(T_T)
そんなこんなが終始、続いて悶絶するほかなしだ。
***
映画として上手いな、と思うところが多々あった。
ノラとアーサーは税関に説明することで。
ヘソンは友人たちとの居酒屋トークで。
12年で移り変わった環境、事情のご説明をサラッとやっつけてしまう。
だらだらと冗長・長尺な作品が多い昨今、こういった面は良き良き。
私がこの作品で最も素晴らしいと感じたところは、カメラワーク。
物語中盤あたりから…おや?これは…。シーン毎の切り取り方の綺麗さ「ムービージェニック」な表現に気づき、それからは最後まで美しいカメラワークに目を奪われていた。
ニューヨークのちょっとした街並み、風景や環境の切り取り方が、そのままフォトグラフィックな表現というか、NY写真展をみているかのような気持ちになれた。しかも、ただ綺麗というだけではなく、物語の進行にあわせ登場人物のそのときの心境を上手く切り取り、風景シーンに代弁をさせていたように感じた。
「さよなら」と子供時代のヘソン。
道が二手に分かれていく。これから巡り合うことは無いのかもしれない。
水たまりに逆さに映る赤信号が、何かの拍子で広がった水の輪にかき消されていく…
例だが、このような表現が作品内にたくさん散りばめられていた。
陰影も駆使していた。
セリーヌ・ソン監督、おそるべしである。
鑑賞後どうしても気になったので当サイトで調べると、この作品の映像はシャビアー・カークナー氏の撮影によるもので、『Small Axe』という作品では過去に撮影賞も受賞されたとのこと。Small Axeの予告編をみると、ウン、やはり以前からその腕前はあったのかなと想像がつく感じだ。
パストライブスでは是枝裕和監督の技法を参考に"スウィンギン・カメラ”という手法を駆使したらしい。なるほど、これにはとても納得した。
この作品を通じて上手に描かれていった、登場人物の心の機微の表現。
ラストシーンでは最高潮に達する。
***
ウーバーに乗るまでの沈黙。
横並びだった体の向きが、どちらともなく互いに正面を向く。
見つめ合いは無言。ただひたすらに、見つめ合い、何も言わない。
このあたりの表現、凄い。
ハグは、愛情のあるそれでなく、気持ちを圧し殺した友情のハグで。
キスは、しないか。そうだよな。この作品、どこまでも物語を陳腐にはさせない。
「来世でまた会おう」というヘソン。この台詞。言えるか~~!?
今が past lives(前世)ってことにして無理矢理、気持ちを抑えるヘソン。
ウーバーを見送り、アパートまで歩き戻るノラ。
戻るまで100歩とあっただろうか。
この、ほんの短い間、ヘソンの人生でもアーサーの人生でもない、ナヨン=ノラだけの時間。ヘソンの本当の想いを強く理解し、涙する。泣いたのは、泣き虫のナヨン?ノラは泣かないからね。
玄関先で待つアーサー。
ああ、やっぱり部屋にいられず見てたんだなアーサー。こちらも切ないのう。
一連の流れを歩道と平行してワンショットで追いきるカメラ…
素晴らしいね。
12年ごとに出会うけど、結ばれない。
12年前=前世のような表現、皮肉。
これがこの作品の最大のロジックか。
良い映画との出会いに感謝したい。
no way to say goodbye
彼は忘れられない初恋の人の気持ちと今の幸せを確かめたかったのだろうか。
場合によってはあの時の2人に戻れるのかも知れないと感じたのだろうか。
ノラが住む雨あがりのNY。
12年前のSkype以来、36歳で再会しに来た24年前の幼なじみヘソン。
ほほ笑みながらさらりとヘソンにハグしたノラ。
数秒遅れてぎこちなく腕をまわすヘソンにみえる複雑な動揺と別々の長い時の流れ。
そしてノラの夫•アーサーはこの再会の運命の成り行きを静かに見守っているようにみえた。
ノラをただ信じようとしながら。
冒頭のバーのシーンが印象的に繰り返される。
ヘソンの韓国語にはノラを想う一途な気持ちがポロポロとこぼれるように表れる。
ノラは隣でうつむきがちに佇む夫を少し気にしながら時々おおまかな通訳で繋ぐ。
アーサーは言語の全てを理解できなくとも話の内容をつかんでいるようだ。
やはりノラを信じようとしながら。
前日、アーサーがノラに聞いた言葉
「彼は君が恋しかった?」を思い出す。
〝?〟は〝。〟だ。
ノラへの優しさで疑問形を使ったけれど、3人とも、いや彼を見ている誰もがはっきりとわかるほど〝。〟だ。
あの質問にノラはあっさりと答えてみせた。
ノラとヘソンの〝イニョン〟を感じとるほどに内心は不安でいっぱいなアーサーを安心させたいのと、自分自身に言い聞かせるかのように。
だからアーサーはこうしてノラを信じてみようとしているのだろう。
ソウルへ帰るヘソンとの別れ際。
ヘソンを見送りに行くノラ。
アパートでノラを待つアーサー。
このシーンを見守りながらいつかの自分の記憶がフラッシュバックする。
勝手に混ざり合う経験と想像で3人の気持ちは私の頭の中で膨らむ。
それはヘソンのスーツケースのタイヤと同じスピードでくるくるとまわり、最後の選択を待つ彼らの分岐点に一緒に辿り着く。
バーでの最後にアーサーと会話し気持ちが落ち着いたようにみえたヘソンだった。
自覚する立場の違いや、アーサーの人柄や夫婦の愛にも納得した。
しかしまだ燻るものが隠せないほどヘソンはノラが恋しいあの時のままなのだ。
ノラも何かを堪えているのが切ないほどわかる。
タクシーが来るまでの息がとまるような長い沈黙。
ゆらゆらとする気持ちが輪郭をはっきりさせ何度も溢れそうになるけれど、あの坂道の岐路の風景と同じくまた立ち尽くすだけの2人の〝イニョン〟。
そして、ヘソンの精一杯の問いかけに〝わからない〟と言ったノラ。
その強い瞳が本心を塞ぐように「さようなら」を告げた。
ノラを外で待っていてくれたアーサーは全てを理解してくれた。
彼の安堵とその愛の深さがノラを包みこむと感謝が涙になって落ちる。
それはさっきヘソンとの別れに我慢して流さないようにした涙とは違う種類の温かく優しいものだったと思う。
3人の織りなす〝イニョン〟。
私も思いがけず心の奥底にしまいこんでいたなにかを引っ張りだされた。
それを重ねながら行ったり来たりし胸をざわざわさせ、決して思うとおりばかりではない人生の余波の豊かさに浸かる。
味わう記憶を呼び覚ますような体験は年を経てなおのことなのかも知れない。
今日のこの世界もまた格別だった。
Past Lives(前世)は信じないけど「もしも、あの時、ああし...
Past Lives(前世)は信じないけど「もしも、あの時、ああしてたら」は考える。
「ヘソンは中国語よりも英語の勉強に方向転換すればよかったのに。そしてNYに行けば、、」と自分事の様に見入った。
しかし相変わらず「引きずる」のはだいたい男だ。
ノラ(ナヨン)は子供の頃泣き虫だったが、自分の道をしっかりと進み、実家暮らしのヘソンとは違い国境を越えアメリカで仕事をする。しかし元々のきっかけは両親の都合だ。もし両親が韓国から出なかったら、、、当時の韓国が芸術に対して閉鎖的でなかったら、、、
時代背景も面白い。
今作が長編映画監督デビューとなるセリーヌ・ソン(1988年 生まれ)が、12歳のときに家族とともに海外へ移住した自身の体験をもとにした映画らしい。
ほとんどの構図が、左側がヘソンで右側がノラになってて反転するシーンに意味があるそうな。
伝わるという幻想…そこに頼る純情
子供のころの初恋の相手と再開するストーリー。突然親の仕事の都合で韓国からアメリカへ移住する女の子。突然、残された男の子。その後の彼らの人生。12年後、ふとしたことでオンライン上再開する二人。楽しい時間はそうは続きません。彼女は仕事に集中したい、オンライン上で話しをするようになってから、ソウルのことばかり考えてしまう。「しばらく、やめましょう」…そして…さらに12年が経ちます。
夫が居て、仕事も順調な彼女は現状を変える気はない。一方、単なるノスタルジーではない感情を抑えきれない彼はニューヨークへ向かう。彼女の夫も含めた3人での時間。隠しきれない緊張感は和めない微妙な空気を作り出す。単なる旅行者に徹したい彼の頬に涙が伝う。それを意思を持って無視する彼女。
別れの時、彼の前では決して泣かなかった彼女。しかし、家の前で待っていた夫の腕の中で号泣する。
恋愛の結果が結婚ではなく。生活設計としての結婚がある。そこに愛を感じないわけじゃない。でも…子供の頃に体験した純粋な愛情を求めるなんて…そんなリスクを背負うほど愚かじゃない。
「来世に会えたら」…彼を納得させ、自分を納得させるためには…この思想しかないのかも知れない。
「イニョン」…輪廻転生も含めた「縁」を表す韓国語は、二人を繋ぐ言葉であったが、二人を諦めさせる言葉でもあった。
なかなかいい映画でしたが…演出が淡白過ぎて…わかりにくさ…が残りました。韓国の文化…特に、韓国の男女の特性に対する知識がある方が納得感はあるのかな🤔
え?これそんなに良いですか?
期待してたんですが、がっかりしました。
「タラレバ」のセンチメンタルでどう感動させてもらえるのかな〜と思ってたら。
観てみたら、ごめんなさい、表現悪いんですが
すごく子供っぽい話だった…
誰かが「ララランド」と並べてたけど、とんでもない。
雲泥の差。
だって、パストライブスは、12才の時の、手繋いで親同伴でデートごっこしてただけの恋ですよ。
共に夢を追い、未来を夢見て同棲してたララランドと比べるのはおかしい。
それを20年引きずった末に、再会して2人とも思わせぶりな会話して、旦那まで巻き込んで最後は涙のお別れ、て・・・
ごめんなさい、私には理解不能でした。
すっごく不完全燃焼。
国と時を超えた三角関係 - 映画感想文 「 PAST LIVES」
・冒頭のBAR
冒頭はBARで男女が話すシーンで始まる。女性が真ん中におり、それを挟んで両脇に男性がいる。
それを見ている人が「彼らはどんな関係なのか?」と話す。「もしかしたら片方は恋人同士で、もう一人の男は兄弟なのでは?」というように。
観客が抱くべき疑問をすべて言葉で代弁してしまう。これはなかなかに説明的で野暮ったいシーンではあった。
・少年少女
物語の始まりは、まず12歳の少年少女がいる。彼らはお互いを好きになるが、少女は遠くに引っ越しして離れ離れになってしまう。
・12年後
12年後、大人になった24歳の男女。女はニューヨークに住み、男は韓国に住んでいるが、Facebookを介してオンラインで再会して、連絡を取り合うようになる。
再会の仕方がさすが現代的だ。ここをドラマチックにお膳立てしないところが「本当にありそうな物語」としての仕掛けだとも言える。
日本よりさらにネット大国の韓国らしいとも。
二人は「ずっと会いたかった」と告白しあう。実は女の方は彼を忘れかけていたぐらいなのだが、男の方は強く彼女に惹かれたままだったのだ。
・アカデミー賞
アカデミー賞にもノミネートされているし、数々の賞を取りまくっているらしき本作。
一見地味にも見える映画だが、何がそんなに素晴らしいのだろうという視点で観てしまう。素晴らしい体験を期待しながら観てしまう。
これが俗に言うハードルが上がるというやつだ。
・2度目の別離
オンラインで連絡を取り合っていた二人だが、お互い国も違い、距離が離れすぎている。そしてまだ学生だ。
女は「ニューヨークまで来て」と言うが男は行こうとしない。
そして女が連絡を止めようというと、男は悲しそうな顔をする。いやニューヨークぐらい飛んでいけよと思うのだが、よく分からない。きっと簡単には行けない事情があるのだろう。
・なぜ男は女に連絡したのか?
電車でイチャイチャする他のカップルを見て羨ましそうな顔をする男。
あまりにも彼女が欲しすぎてゆかりのかる少女に連絡してしまったのだろうか。一見爽やかなのだが、中身はなかなかの非モテ系。
・さらに12年後
男女が連絡をやめてからさらに12年後。女はすでに結婚していた。男はまだ独り身である。
男はついにニューヨークを訪ねる。電撃訪問。
24年越しの思いを抱えながら女を求めて国を越えるなど、曲がり間違えば相当やばいストーカーなのだが、それは相手の受け取り方次第だ。
ストーカーなのか?実は運命の相手なのか?
ギリギリのラインを揺れ動きながら、男はリアルでは20年ぶり以上に女と再会し、自由の女神を観に行ったり、遊園地に行ったり、恋人まがいのデートを楽しむのだった。
そして今度は女の夫もあわせて3人で飲みに行くことになる。それが冒頭に出て来たBARであった。
・女の夫
女の夫は気が気でない。
なぜなら彼は韓国人ではなく、妻は韓国人。女はことあるごとに「韓国ではこうだ」「あれは韓国的で、これは韓国的でない」ということを無意識に口にしてしまう。
しかも妻の寝癖で出てくる言葉も韓国語なのだ。
夫は自分の知らない領域が彼女の中にあることに不安を覚える。しかも今回は、少年少女時代とは言え昔好きだった男が訪ねて来ると言うのだから大変だ。
しかし漢を追い払うわけでもなく、丁重にもてなす夫。BARで男と妻が見つめ合って恋人同士みたいな雰囲気を作っても我慢する夫。頑張り屋。
そこは怒っていいよ。
・キスしない
最後に男とおんなが分かれるシーン。当たり前だが男は韓国に帰る。女はニューヨークでの暮らしを続ける。
今の瞬間が終わったら今生の別れかもしれない。
そして二人はお互いに見つめ合い、もしかしたらキスしてしまうのかと思わせておきながら、やっぱりしない。
「ここでキスさせてしまうようなら駄作だ」と思いながら観ていた。
二人は運命の出会いを果たして結ばれるでもなく、お互いの人生に戻って行くこととなる。
・袖触り合うのも多生の縁
人生で出会う人には前世からの因縁があり、8000層の何かの層を超えて今世で巡り会ったのだと言う。
輪廻転生的な哲学が繰り返し語られる。
もしかしたらほんの少しのタイミングが違えば、二人は同じ道を歩んでいたのかも知らない。それを思うと切ない。
というか学生時代に男がニューヨークまで訪ねていれば一緒になれていた可能性もあったのでは?
行けよ。地を這ってでも。
・国を越えた共作
コットンテールもPERFECT DAYS もそうだったが、今は国をまたいだ共作って流行ってるんだろうか。
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