パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
全58件中、1~20件目を表示
空虚な男の冒険と敗北
いろんな感想を評を読んでも、ああそういう見方があるのかとも思うものの、なにか自分とズレがあるような気がしてしょうがない。つまりは、観た人の数だけ解釈があるような、それでいて曖昧さから自由に受け取ってくださいというより、すべてが明確に描かれた結果だると思わせる強度がある。
自分にとっては、と、つい前置きしてしまうが、ヘソンという男の空虚さがアタマをまとわりついて離れない。運命の相手と再会さえすれば、自分と相手の心を揺らして、なにか人生を変えてくれるのではないか、そんなだいそれた望みをどこまで自覚しているのかわからないが、とにかく空っぽのままNYにやってきてしまった男。
自分の望みに自覚的で、夫との居場所も手に入れたノラにしてみれば、ちょっとノルタルジックでほろ苦いエンタメを消費するような気持ちだったんじゃないか。しかもヘソンとの再会がもたらしたのは、いま手に入れている生活への圧倒的な肯定である。そもそも過去しか差し出せないヘソンに勝ち目などハナからなく、ヘソンと自分の熱量の隔たりを思い知って、ノラは最後泣いたのではないか。少なくとも、自分を思うことしか拠り所のない平凡な男の人生のためにも、あの涙はあったのではないか。
さりとてヘソンが現状への満たされなさを埋めようとNYに来たのは間違いなく、ヘソンが空虚なのは自業自得である。しかしそれがヘソンの限界であると残酷にも描かれてしまっているからこそ、この映画には怖さがある。と、まあ自分にとってはそんな映画だし、人生を粗末にしてしまった男の悲劇として(も)、傑作だと思う次第です。
私が考える別のストーリー
なので興味ない人はスルーして下さい
鑑賞後、少し落胆してしまった
実際にこういうストーリー(現実)があるからだ
幼い頃、初恋の女の子が自分のことが大好きで、いつまでも自分のことを好きでいてくれると思う男性
彼女は飛び立った人間なのだから、ソウルに戻って来いと言う話も無理な話。しばらくして彼はようやく彼女に会いに行くが、彼は何も引っ提げずにただ会いに行く。
そんなのうまくいくわけがない。
しかし旦那は同じ国の人間が来ることに少し不安があったようだ。自分の好きな人が、他の異性と楽しそうに昔の話をする話は、楽しいものではない。
だけど旦那はちゃんと彼女を信じた。
お互いが愛し合ってる証拠だと思う。
そこへヘソンが入る余地はもうないのだ。
最後のシーンで分かっていたのは
幼い時のあの別れ道から既に運命が分かれていたのだ
彼女は上へ上がる階段へ
彼は平坦な道
なのにNYへやってきた彼
ヘソンが何をしたいのかわからなかった
だから拍子抜けというか落胆した
そこで私は自分なりのストーリーを作って、腑に落ちるようにしてしまった
実は彼はもう兵役の時に事故か何かで死んでいたのだと。
その瀬戸際に幸せだったあの頃を思い出し、彼女に会いたくなったのだろうと。
彼女はそれがわかったから、彼に会いに行った。
旦那も許した。
そしてNYで彼女が幸せに暮らしているのを見て、
この世に見切りをつけ、さよならをちゃんと言って天国に帰っていく。
亡くなったというのが乱暴な表現なら、何かの事情で
心が無くなった、とかでも良いのだけど。
ポスターでもあるメリーゴーランドを見てもちっとも楽しそうじゃない2人が今回の象徴
【”縁ーイニョンー”初恋の相手は忘れられないモノ。今作は8000層もの”縁”は結ばれず結婚は出来なかったが、幼き時別れてから24年間の男女の生き方及び漸くの出会いと別れを描いた素敵な恋物語である。】
ー 冒頭、バーのカウンターで二人のアジア人男女と一人の白人男性が飲んでいる。
それを見ていた男達が、”アジア人だけ二人で喋っていて、白人は黙ったままだ。”と会話するシーンから物語は始まる。男達の姿は映されない。印象的なファーストショットであり、ラストに繋がる巧い作品構成である。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・物語は、ナヨン(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)が12歳の時から始まる。二人はお互いに好きになるが、ナヨンの父の仕事の関係でカナダのトロントに移住してしまう。
そして、ナヨンは名前をノラと変える。
ー 親の転勤で初恋の子と別れてしまう。初恋が実らない、あるあるである。ー
・ヘソンは大学に入り、兵役も経験するがナヨン(ノラ)の事が忘れられない。そして、24歳の時にヘソンはFacebookで、一人ニューヨークで作家として生計を立てつつあるナヨン(ノラ)を漸く見つけ、ビデオチャットで12年振りに会話を交わす。
ー 成長二人は”面影があるね。”と懐かしそうに会話しつつ、ヘソンは名残惜しそうに、”大学があるから・・。”と席を立つ。脳内で”何やってんだ!”と突っ込みつつ、ナヨン(ノラ)がソウル行きの便を検索している姿を見て、”このまま行くのか!”と期待する。
が、何故か二人は相手に会いに行く行動を起こさない・・。-
・その後、米国人の作家のアーサー(ジョン・マガロ)と結婚したナヨン(ノラ)。それを知ったヘソンはナヨン(ノラ)への想いを振り切るために、漸く会いに行く。
ー ”全くもう‼ヘソン、行動が遅いんだよ!”と思いつつ、二人がマディソン・スクエアーパークで24年振りに直接対面するシーンを見て、ヘソンの”あの時、何故・・。”と言う後悔と、そんな彼に”自分で選んだ人生なの。”と伝えようとするノラの心も垣間見える様に感じる。
そして、二人が相手の身体を抱きしめるシーンは、少し沁みる。-
■一番心に沁みたシーン
・ナヨン(ノラ)が、韓国へ帰るヘソンをウーバーまで送ってから、家の前で待っていたアーサーに抱き付いて、泣くシーンである。
序でに言えば、アーサーは実に懐の深い良い男である、と思う。
<今作は、ナヨン(ノラ)とヘソン、そしてアーサーも含めた3人の心の葛藤を、最小の台詞で描くことで、縁が織り成す3人の人生が浮かび上がる作品である。>
<2024年5月12日 刈谷日劇にて鑑賞>
とても哀しいのに、何故か温かい
大人びてほろ苦いけれど、ファンタジックで気持ちが軽くなるような小説を読んだ気がしました。何故か、映画じゃなくて中編小説。
時を経て結ばれるかと見えたヘソンとノラの初恋も、2度目の恋も実らない。いや、ヘソンがNYに向かった時は、実ってしまうのかともドキドキしたが、遂に成就しない。前世の縁がなければ、叶うことは難しいと作品は呟く。人生はひと時のメリーゴーランドに揺られているような、見かけは楽しくはしゃげても、中身は情けないものだったか。
それでも懸命に生きる…意志の力でもがくのではなく、大きなものに身を任せながら、生を営んでいくのも人生の在り方だと思えてきました。諦めるための運命論ではなくて、見つめるための運命論。色々と自分に出来ることを考えて、思い巡らせながら生きたいではないですか……
心を込めたら気持ちは伝わるとキツく信じて、でも恋の結果に出来るだけ…拘泥しない。
坂道の多い、空の白っぽい町で育った少年と少女は別々の人生を辿りながら、きっと胸の奥で同じ想いを抱いていた訳で、しかし、かつての二人の想いが同じと知ったとしても、それが形に成る訳でもない。
ウーバーのタクシーを待つ二人。なんで制作者は、このシーンを盛り込んだのだろう。序盤、あなたの劇のここの間が素晴らしいと褒められたノラの脚本(でよいのですよね)が伏線になっていたように思うのですが、この苛つくもどかしさ。そう、諦めるにはたくさんの気持ちを暗闇に埋める作業が必要なのだ。
見えないものに突き動かされる二人、見えないものに引きとどめられる二人。立ち去ったノラとヘソンの間にいつまでも残る涙混じりの溜息。情けなさをしっかり抱きしめたヘソンを載せたタクシーが走り出す。
心を込めたら気持ちは伝わるとキツく信じて、でも恋の結果に出来るだけ…拘泥しない。同じことを書いてしまった。
酔えませんでした
なんだかな。
ノラの、誰をも大して
大切にしていない?
都度都度奔放とも言える態度にイラッとして
共感できず。
彼女に葛藤が見えなかったからかな?
なんだかんだ波に乗って人生渡ってきてる感じ
ドラマとして見るにも楽しめなかった。
男性2人が普通に可哀想に見えてしまい。
そんくらいの感じで結婚したり
昔の恋人に会わせたりするんだ〜って
自分ならしないな〜、、と
ノラがあまりに雑というか、不誠実な感じがした
男性2人には「そういう女なんだよ〜、」と言いたくなった
ラストだけじわっときましたが。
これで何故感激できるのか
私にはわかりませんでした。
なんだかシチュエーションだけで酔えるのは
軽薄な感じも受けた
多用されるイニョンの言葉も特に響かず。
(やたら著名人が絶賛コメントしてる宣伝を見てめちゃくちゃ期待していたので、、、今後はそういう宣伝手法には気をつけようと思いました、、、今回コメントしてた人が褒める作品にも気をつけよう、、
これが最高のラブストーリーなら今まで何みてきたんだよっ、、とか言い過ぎでしたらすみません。)
ヘソンの俳優さんの、複雑な心を映し出すような
物言わんとする表情は、魅力的でした。
監督の思惑どおりにモヤモヤする。
一応ネタバレということにしたけど、最後まで何か事件があるワケでもなく、淡々と物語は進んでいく。
韓国という国家特有の習慣やしがらみの中で、今の自分を作ってきたヘソンと、あくまで自らの意思で決断し道を切り開いてきたソヨン。
そしてソヨンの夫であるアーサー。
小学生時代に好きになった女のコに、離れ離れになって以来、大人になっても(結婚を考えているパートナーがいるのに)いつまでも想いを寄せるヘソンの気持ち悪さはまあ、置いておくとして。
ソヨンが自宅にヘソンを連れて行ってからのバーでの一連。
もちろんそれが作り手の「演出」であって、それ自体がメッセージであると知った上で、それでもやっぱり
「それはないよ!」と言わずにはいられない。
ソヨンが悪気ない言葉や態度で男性二人の心に見えない傷を付けていく姿を、やはり私は胸が苦しくて見ていられなくなる。
ヘソンへの嫉妬を見せるアーサーにソヨンが言った「安心して。私は男よりも仕事を選ぶわ。」という言葉。
アーサーがベッドで「もし違う相手と出会っていたら、ここに寝ているのは僕ではなかったのかな」とソヨンに問いかけても、彼女は明確には答えない。
アーサーは「どんなことがあってもあなたを選ぶわ」と言って欲しかったはずなのに。
ただ、彼女は自分に正直なだけ。
欺瞞や体裁を繕うことはしない。
でも…
ソヨンとヘソンのバックショットにアーサーの肘だけを映し、アーサーを映す時は二人の位置から見た視点で独りにするとか。
ウーバーまで送っていった彼女を待っている間のアーサーの心穏やかではいられない気持ちとか。
なんて意地悪な。
と、こういう観客の感じるモヤモヤも、詰まるところ「作り手の意図」なワケだ。
あの最後に黙って見つめ合うシーンとか、モヤモヤの最たるもの。
このモヤモヤが、観賞後私には「嫌な感じ」ではなく、心地よい映画体験だった、と振り返っている。
ただ、やっぱりソヨンは酷いと思う人が多くてもしょうがない。
そういう絶妙なバランスの上にある映画。
切なかった
途中、予想がつく単調な展開に眠くなったけれど、後半の3人で食事→見送り→歩いて自宅に帰るシーンは切なくてジーンとしました。
幼馴染みと24年ぶりに会っても、24年の溝(価値観)は埋まらないよねと実感。
普段使っている言語も違えば、呼び名も目指す場所も環境も違うのだから、なおさらです。
ラストは切ない気持ちになりながら、「来世で会えることを楽しみに」って、なんかどこかで聞いたことがあるフレーズ・・・。
そうだ!昭和後期の超人気アイドルと超人気アイドルが別れた時、涙ながらに「生まれ変わったら一緒になろうね」と語っていたあの会見だ!
なぁんて、どうでもいいことを思い出しました。
まぁ、なんと言っても一番切なかったのは、夢心地の2人ではなく、放ったらかしにされガイドさんと間違われつつ、3人の食事代をカードで支払い、韓国語挨拶も事前に覚えて感じ良く接し、妻には嫌な顔ひとつせず「おかえり」と迎えた夫とその心情でしたけどね。
アーサー!!(涙)
もはや途中からアーサーのことばかり考え、アーサーの心配しかできなくなっている自分がいた。
ノラとヘソンがニューヨークで再会しても「ノラ、ヘソン、どうかアーサーを傷つけるようなことはしないでお願い…!」とアーサーの心配ばかりする始末。
バーのシーンでヘソンがノラに24年越しの思いを伝えているところでも、画面外に追いやられているアーサーがどんな気持ちでいるのか想像してしまって仕方がない。
見送りの別れ際、タクシーくるまでの2人が見つめ合うところ、かなり緊張した。ノラがヘソンと一緒に韓国へ戻ったらどうしよう、と部屋で彼女を待っているアーサーのことを考えると気が気でない。
最終的にアーサーの元にヘソンが戻って良かった…。
ノラとヘソンの関係はね、もうずるいじゃん。
美しい思い出と決着がついてないお互いへの好意だけが残ってる状態なわけじゃん…。
初恋でお互い好きだけど物理的距離が邪魔して一緒にいられなかった。
12年経って連絡取れるようになってからもお互いを特別だと思っているのもわかっていて。
そんな2人さらに12年経って対面で再会するって。
…そんなのノラの結婚相手・アーサーからしたら心配しかないじゃないか!!嫌じゃん普通に!!
途中まで思いっきりノラを引きずるヘソンを眺めながら「そうだよね、まだ好きなんだよね。男性は引きずるっていうしね」とか思いながらヘソン寄り視点で観ていたんだけど、アーサーがノラに「僕は2人にとって邪魔な悪者だ」とか胸のうちをこぼしたあたりから完全にアーサー視点になってしまった。
自分は悪くないのに、ノラと母国言語が違うこと、韓国にいる会ったこともないノラの初恋の男性(ヘソン)に引け目を感じているアーサー。
そうでなくてもどこか自分に自信がなさそうなアーサー(体格もそんなによくなくて、グイグイくる感じでもなくて、作家でゲーム好きで、ってもうそれだけで彼のパーソナリティがなんとなく見えるように描かれてるのよ…)。
でもその初恋の男性がニューヨークに来たら「会うのを自分が止める権利はない(これはもはや行ってほしくないって言ってるじゃんね…)」と送り出すアーサー。
片言の韓国語でヘソンを出迎えてパスタ食べようって言ってくれるアーサー。
2人が韓国語で話してるの気にしてるくせにそこに割り込むこともなく「気にしてないよ」って言っちゃうアーサー。
ノラがヘソンを見送りに行くの、同行しないくせに心配で外階段で待ってるアーサー。
もうアーサーこのお人好し!!(涙)
美しいシーンもたくさんあって他に感想言うことあるだろって思うけど、最終的にアーサーのことばっかり思い出してしまう。
(アーサーばっかりの感想になってしまった…。)
涙がこぼれる、たった一言
公開前からずっとずっと観たくて、やっと観ることが出来た。
ただただ切ない。
感情の、表せられない涙がこぼれる。
悲しいとも違う、感動とも違う、心の奥深くの何かに触れる涙。
誰かのレビューや評判を聞いて期待値MAXで臨んだので、
静かで美しいふたりの物語を割と淡々と観ていた自分がいたのだけれど、
最後の最後、ずっとどこか遠慮しがちな目を向けていたヘソンが、ノラを真っすぐに見つめてかける言葉。
あの言葉を聞いた瞬間、すっと心に入り込んで、どうしようもない気持ちでいっぱいになって、涙を止めることが出来なかった。
タクシーが来るまでの短くも長いあの瞬間、その時のふたりの表情、ふたりの間の距離、ヘソンが振り返ったと同時に一瞬はさむ過去のふたりの姿……なんて素晴らしいシーンなんだろう。
NYで強い女性に成長したノラが子供の時のように泣きじゃくる姿を見て、もう、ほんと、運命って、縁って、人生って何なんだろうと心に来た。
今までの自分の選択や現在の幸せを後悔することは絶対にないけれど、自分ではどうしようもできなかった一つ一つのこと、自分という人間、捨てることはできない大切な志や意思、口から出た言葉、頭に浮かんだ考え、そんな自分を形作るすべてについて思いを馳せてしまう感じ。
きっとノラの夫は、ノラがその涙を見せてくれたことにどこかで心救われただろうと思う。でもそのきっかけは自分ではない、自分は共有することはできない、不可侵の、思い出や想いや縁。
その夫の切なさも想像できてしまって、そんなところにも涙腺が緩んだ。
前世、今世、来世、繋がっていく縁、
もどかしい反面、諦めにも似た“希望”がある。
素敵な考え方だ。
ノラとヘソンはきっともう会うことは無いだろうと思う。
連絡をとることもないかもしれない。
時々SNSに「いいね」をしあったり、お互いの名前をどこかで目にして近況を知る程度になるかもしれない。
ふたりはこれからどんな人生を送るのだろうか。
どんな選択をして、どんな人と出会うのだろうか。
ヘソンの最後の言葉をノラは忘れないだろう。
いや、忘れてほしくない。
あの瞬間をヘソンはきっと時折思い出す。
思い出してほしい。
そしていつか必ず、ここではないどこかで、再会を果たしてほしい。
もう少し切なくなりたかった
どうしてもタイミングが合わなかった二人、仕事や夢、他のパートナーと言う人生で大切だと思うものといつも天秤になるが負けてしまう。とはいえ毎回天秤にかけられるそんな二人の関係を最終切なく締めくくる
正直そんなシナリオならもっと切なくなれそうだったんだけど、気の強い主人公や、どれくらい夢や恋愛などに想いがあるのかというところもあんまり伝わってこなくてなかなか入り込めなくて残念
旦那様の寛容さと、最後の二人だけで話すところもなんか自分勝手で嫌だなって感じつつ、その自分勝手さを持ってしても惹かれ合うのか?でもいかないのか?と入り込むというよりは観客目線になってしまった
エターナル・サンシャイン
なんか真面目で薄めなラブストーリーだなぁ
…鑑賞直後の印象はそんな感じだったのに
2、3時間経った途端決して恋愛体質ではない私にも清々しく穏やかな余韻が押し寄せて来たんです
韓国で生まれ育った12歳のナヨンと同級生のヘソン互いに恋心を抱く2人の物語を3つの時間構成で綴っている
12歳時代の2人が階段の上と坂の下お互い反対方向に向かう人生の岐路の切なさに2人を優しく抱き締めてあげたくなった
やがて36歳になったナヨンは今ではノラとして作家の夫アーサーと結婚し自身も劇作家として理想の人生を送っている
そんなナヨンの現在を知りながらもヘソンは彼女に会う為に渡米する
ナヨンとヘソンそしてアーサー…三角関係特有のドロドロやドキドキを下世話な展開を予想してしまいがちであるのだが
違うのだ!ナヨンの夫アーサーは韓国語でしか寝言を言わず韓国男性特有の性質を語る妻に不安と寂しさを抱きながらも初恋の男性との再会を優しく見守る…人生を受け入れ妻を丸ごと愛する姿勢に通常のメロドラマを更新した優しき人間ドラマに仕上がっている様に
この先恋愛至上主義のラブストーリーが霞んでしまうのでは位の感覚に浸りました
恋愛体質でないからこその感覚?かも
2人が歩くNYのノスタルジックな街並みも素敵でした
物語のキーになるイニョン…偶然や必然
静かなる運命が重なり合って繋がれる大人のラブストーリーを明日改めて観直す事に致しました
最後の涙の意味
まず、オープニングが面白いんですよね。
二人の物語のはずなのに三人でいるから、この時点では二人は結ばれていないのが分かるの。
なので、この映画はそこが二人の行き着く先なのか、その先が有るのかを観る映画になるんですよね。
それで、いきなり話が飛ぶんですが、ラストシーンのナヨンの涙がなんかしっくり来なかったんです。
だけど、鑑賞後にパンフレットを読んだら監督があのシーンについて語っていたの。
さよならをしたのは、ソウルに置いてきた少女の頃の自分に対してなんですね。
監督自身の経験をもとにした映画なので、監督が言うならそうなんでしょう。
それを分かってから映画を振り返ると、ノラがヘソンに今更会った事も、なんか納得できるんですよね。
十二才のナヨンが、心の全部を移住先に持って行けるわけないですもんね。
パンフレットを読まなかったら、この映画しっくり来ない作品になっていたかもしれません。
それから、ちょっと話は戻るのですが、バーでの二人の会話の中のヘソンの考え方で、なるほどと思ったのが有ったの。
その人のとるであろう行動を含めて好きになるのだから、もしも◯◯だったらと考えてしまう時点で、結ばれる運命ではないのでしょうね。
初恋は辛く美しく、失恋もまた辛く美しい
いやぁ、泣かされました。
あるシーンから、ラストまで、ずっと、‥‥
初恋とか、失恋とか聞いて、何か感じるところのある人は、何も調べずに、迷わずご覧になることをお薦めします。
あとは何を書いてもネタバレになりそうなので、‥
そうそう、本作、『エブエブ』や『ボーはおそれている』のA24が配給、韓国のCJ ENMとアメリカのキラーフィルムズと2AMが製作なので8割方アメリカ映画です。
*
*
【以下ネタバレ注意⚠️】
*
*
*
*
*
冒頭に、2024年の3人を映したショットに
「この3人は、一体どんな関係なのだろう」
というナレーションをかぶせたプロローグがあります。
ナヨンとヘソンはソウルの学校の同級生。
成績はともに学年一位を争う仲。
それにお互い好意を寄せるあいだがら。
ところが、ナヨンは、映画監督の父と画家の母とともにカナダに移住することになり、母の勧めで、最初で最後の一日デートをヘソンと楽しんだ。
ナヨンは、妹とともに、自分たちの英語名を決めることになり、父の発案によって、レオノーラ、略称ノラと名乗ることになった。
姉妹は、飛行機の中で、英語の挨拶の練習をふざけてし合うほど、新生活には期待がいっぱいだった。
12年後、ヘソンは兵役のための入隊も経験し、仲間と飲む機会も増えたが、ずっとナヨンの行方をネット上で探していた。
ノラの方は、ヘソンのことなど忘れかけていたが、たまたまFacebookで友達探しをしている最中、ようやくヘソンの名前を思い出した。
検索してみると、父の映画ブログにヘソンは、
「ナヨンを探しているが全然見つからない。知っていたら教えて欲しい」
と書き込んでいた。
早速、ノラの方からヘソンに連絡を取る。
ノラのパソコン画面に映ったヘソン。
もともと12歳の頃から泣き虫だけれど、サバサバした性格だったナヨンに対して、ヘソンは自分の思いを方に出せない内気なところがあった。
今や母親でさえナヨンとは呼ばなくなったノラの挙動は、すっかりアメリカ人のそれとなっていた。
ところが、画面越しに再会したヘソンは、まさに「含羞」を絵に描いたような、もじもじしながら、目も逸らしがちな挙動不審さを隠せない。
いやぁ、ここからですよ。
涙があふれて来たのは、‥
韓国の兵役と会社勤めは同じだとヘソンは言う。
どちらも、ボスの仕事を片付けるまで帰れず、そのための残業手当さえ出ないという。
日本でも、最近でこそ、「働き方改革」の恩恵で、働いた分の残業代が正規に支払われるように大勢はなったが、12年前はと日本も変わりなかったはず。
両親がいるカナダから、作家になるという夢を実現するため単身NYに移住したノラは、バリバリと自分の行くべき道を切り拓いている。
しかし、ヘソンは社会に対しても、自己実現に関しても、もっと受動的な生き方しか出来ていない。
特に兵役の過酷さ、‥‥
‥‥ノラに「兵役は好きになれた?」と訊かれて、それに対してだけは「いや、嫌いだ」とハッキリ答えていたのが印象的。
韓国で、兵役に関して、好悪を表明することは、別にタブーではないのかな?
話していくうちに、どんどん打ち解けていくヘソン。
話す内容も、ナヨン(ノラをそう呼ぶことを彼女から許された)への隠しきれない思いも、いじましくて、可愛らしくて、痛々しくて、泣けて泣けて仕方がなかった。
ところが、ノラは、日課となったヘソンとのネット上のおしゃべりを、きっぱり辞めると突然宣言する。
自分がNYに出て来たのは、夢を実現するためだから、と。
こう切り出された時のヘソンの受けたショックが、画面の表情からも痛いほど伝わって来る。‥‥
‥‥また、泣ける。
ノラは、アーティスト・イン・レジデンスの制度を利用して、NYの東、モントークのレジデンスに入居した。
執筆活動に専念するためだったが、ここに後から入居して来たのが、ユダヤ系アメリカ人で、やはり作家志望のアーサー。
初対面の二人は、美しい環境のなかで、すぐに打ち解け、ノラは、韓国で人と人が出会う奇しき縁(えにし)のことを「イニョン」と言うのだ、と説明する。
この世で、結婚するような相手とは、8000層(だったかな?)も重なるほどの、前世( past lives )からの「イニョン」があるのだと韓国では信じられている、と。
この「イニョン In-Yun 」、日本語で言えば「因縁」でしょうね。
単純に「縁(えん)」と言っても「えにし」と言っても、ほとんど意味は変わらない。
ノラが、「仏教から来た考え方」と言ってる通り、仏教の基本理念の一つ、「因縁説」または「縁起説」に由来するものでしょう。
韓国は、日本より、儒教の影響が強く、仏教の方はさほどではないのかと思っていたので、この話には、ちょっと驚いた。
現代の日本では、「親の因果が子に報い」とか「因縁話」とか「インネンを付ける」とか、とかく「因縁」という言葉はマイナスイメージをともなってしか使われない。
また、「縁」の方だって、「縁結び」とか「縁切り」とか「御縁がなかった」とか、比較的軽めのニュアンスで使われている感じで、前世からの縁がどうこう言うのは、お能か歌舞伎の舞台でしか耳にしないと思います。
中村元先生の『原始仏教』によれば、縁起説とは、ものごとには必ず何らかの原因によってもたらされるのだから、苦しみから脱却するには原因の省察が必要だという、言わば科学的思考の勧め。
前世とか来世とか、輪廻転生とかいう、ふつう仏教的とされる概念は、大乗仏教の段階になってもたらされたものだというのが中村元流の釈迦仏教の捉え方ではありました。
閑話休題。
ここでは、ノラは、アーサーに「イニョン 」は、仏教から来た考え方で、輪廻転生と関係していると説明しているので、ここではそれに従いましょう。
ノラは、それは極めて韓国的な概念だ、と言って、自分では信じていないらしい様子。
案の定、アーサーに、
「だったら、僕たちの間には、強いイニョンがあるってことだね」
と口説き文句に使われ、二人はキッス‥
男女の仲は自然に進み、やがて夫婦に。
アーサーとの会話のなかで、ノラは、ヘソンのことを、「ものすごく韓国的なのよ」と繰り返す。
自分を含めて、アメリカ育ちの韓国人は、コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)だけど、彼はコリアン・コリアン(韓国の韓国人?)なのよ、と訳のわからないことを言ったりする。
つまり、ノラにとって、恋愛における「イニョン」説とヘソンは「韓国的」という点で結びつき、アメリカンな今の自分とは異質だと感じている訳です。
ところが、ヘソンも、同じ「イニョン」説の話を友人たちとするが、彼の方は、どこか「イニョン」が重なった強い前世からの結びつき、というものを信じているところがある。
それも、自分が12歳の時から、ずっと思いを寄せて来たナヨンその人に重ねて。
ナヨンこそ、自分の運命の人だと。
だから、ようやく巡り会えたナヨンとの再会・交信を、彼女の側から突然拒絶された時の彼のショックは、いかばかりかと胸が痛む。
ノラの方は、アーサーと結婚し、夫婦ともに作家及び劇作家として成功している。
ところがヘソンの方は、意に染まない仕事に就き、恋人も出来たものの、結婚話が出た途端に自分には資格がないと、付き合いを辞めてしまう。
その恋人というのも、どこか本気になれず、かりそめの付き合いといった感じが強かったのではないか。
彼女は結婚後、里帰りを兼ねて韓国を訪ね、ヘソンにも連絡を取ったらしいのですが、彼からはナシのつぶてだったらしい。
自分にも恋人が出来たから、というより、とても結婚したナヨンに会えるような精神状態ではなかった、ということだったのでしょう。
それが、さらに12年後、二人は36歳という人生も中盤の壮年期。
ヘソンも、ようやく心の整理がついたのか、ナヨンに会うために、休暇を利用してNYに飛ぶ。
いい大学を出ているはずなのに、英語が下手なヘソン。
NYに着いても、どこかオドオドして相変わらず挙動不審です。
ホテルの部屋でひとり落ち着いて、ナヨンに会うためにパリッと着替えてみても、彼の姿は、どう見ても引っ込み思案な韓国人です。
そんな彼が、24年ぶりに実際にナヨンと顔を合わせるのです。
公園で指定の場所でナヨンを待つヘソン。
あれ、
本当にここでいいのかな?
自分の身だしなみは可笑しくないかな?
と、やっぱり、オドオド、キョドってると、
「ヘソーン!」
とナヨンの呼ぶ声に気づき、一気に表情が明るくなるヘソン。
ナヨンからハグされ、戸惑うヘソン。
この間、ヘソンにはひと言のセリフもないのに、彼の心のうちが全部、手に取るようにわかる。
すばらしい演技、
すばらしい演出です。
観ているだけで、
やはり涙、涙‥‥
アーサーも誘っての3人の会食(後のバーかな?)、
ヘソンは、ナヨンと話すのに夢中で、アーサーはそっちのけ。
‥‥これがプロローグで使われたシーンです。
ノラが中座した際、ヘソンはそのことをアーサーに謝ります。下手くそな英語で。
「いいさ、君は彼女と24年ぶりに会ったんだから」
アーサー、いいヤツ過ぎます。
また泣けます。
たっぷりと濃厚な時間を過ごしただけに、別れはつらい。
ヘソンは、アーサーに、
「今度は韓国で会いましょう」
と声をかけ、Yes の返事をもらいます。
ところが、ナヨンとの別れ‥‥
彼は、二人の様子を見て、
「アーサーがいい人だから、僕は苦しい」
と珍しく本音で言いました。
彼は、いまだに、ナヨンのことを恋して、恋して、好きで好きでたまらないのです。
だから、二人と出会って、実際に話してみて、ヘソンは心に決めたのでしょう。
ナヨンと別れるときに、ヘソンが言います。
「僕たちが、本当にイニョンで結ばれているなら、来世で会おう‥‥」
そう、彼は、アーサーに言ったこととは逆に、今後、二度とナヨンには会わないことを彼女本人に誓ったのです。
たとえ、二人がイニョンで結ばれていたとしても‥‥
何という初恋でしょう!
何という失恋でしょう!
ヘソンと別れたノラは、アパートの前で待っていたアーサーの胸に飛び込み、初めて泣き崩れます。
この別れは、ノラにとっても初恋だった、そしてその初恋が失恋に変わったときだったのだから‥‥
実際には、12歳のときの初恋の相手を、そのまま24年も変わらずに恋しつづけることなんて、できっこないと正直思います。
しかし、本作の二人にとっては、それはかけがえのない初恋であり、同時に、失恋であった。
そのことを思うと、今でも涙が止まりません。
本作、1988年、ソウル生まれでNYで活躍する劇作家セリーヌ・ソンの初監督作品だとか。
プロフィールをみると、ほとんど彼女の自伝的な作品だということがわかります。
脚本も彼女が執筆。
豊富な劇作、演出の経験が本作にも生かされているのでしょう。
アカデミー作品賞、脚本賞ノミネートもうなずけます。
ノラ=ナヨン役のグレタ・リー(1983- )は、ロサンゼルス出身の移民2世のまさしく韓国系アメリカ人。
驚いたのが、どこから見ても純韓国人にしか見えなかったヘソン役のユ・テオ(1981- )が、ケルン出身のやはり移民2世の韓国系ドイツ人だったことです。
いやはや、だとしたら、物凄い演技力の持ち主ではないですか。
カメラは、常に一定の距離を置いて、対象となる人物、ノラ=ナヨンとヘソンを見守るような落ち着いた絵作りが心地よく、あるいは、やはり小津安二郎を参照しているのかな、と思いながら観ていました。
音楽も良かった。
東アジア系アメリカ人による作品は、『ミナリ』とか『エブエブ』とか、最近かなり出て来たようですが、私は本作がいちばん感動しました。
アジアの要素を、作劇の中心に据えたのも、かなり冒険的だったのではないでしょうか。
掛け値なしの大傑作、
また忘れかけた頃に何度でも見返したいものです。
再会したい人いる?
いつも通り予備知識無しで鑑賞
まったりと流れる恋愛映画、こうゆう映画大好きです。
特にラストシーンは良かったなぁー
ニューヨークも素敵
なさそうでありそうなストーリー
子供時代の、経験って、とても長く貴重。
幼なじみがどうしてるかなんてのも自分と重ねやすい。
なんかわかる、いい映画でしたね。
オッペンハイマーのいったりきたり、
登場人物いっぱいの後だけに、
人生を感じるいい映画でした。
主人公には共感出来ませんでしたが、出演していた男性陣には強く共感しました。
この映画の第一印象は、主に男が読むラブコメ(出てくる女子がみんな自分の事を好きになったり、Hなハプニングが起こる)を極めて現実に即して、上品に仕上げ、非常に女性的な物語という印象です。
以下、自分語りが多くキモいと思いますがそれでもという方のみ、お読み下さると幸いです。
また、男の視点からしかこの映画を捉えられていないので、ノラへの言及は少ないです。
小心者で自信が無い自分には、男性陣の一挙手一投足に共感してすごい刺さりました。
僕は中学から男子校でして、彼女はもちろん、女友達もいない状況です。
なので恋愛が小学生止まりです。
ただ数年ぶりに、地元の夏祭りで初恋の相手と再会し奇しくも本作と同様にLINEなどで話し合う仲になるのですが、もちろん彼女をデートに誘う勇気なんてなく、もうそれきりです。
だから、前半はもろにヘソンと同じ様な体験をして(スケールと年数は全く違いますが)12年間も探したのに、会いに行けないのもすごく分かるんです。
自分に自信が無いんです。彼女はNYでバリバリ働いてて自分はただの学生とを比べての劣等感なのか、淡い恋だったモノへの変化の不安なのか、微妙で絶妙な距離感が崩れることへの恐れなのか、もしかしたら本当に都合が合わなかっただけなのか、様々な解釈ができると思います。
また、男だけの空間に放り込まれると(ヘソンは兵役)もっぱら思い出す女性は自分の初恋などの大切な人、もしくはAV女優とかその場限りの人、ぐらいしかいないんですよ。
だから、会いたくなる気持ちも分かるんです。
それを恋と呼ぶか、性欲と呼ぶか、賢者タイムと呼ぶか、純愛と呼ぶかは分かりませんが、いずれにせよ前半のヘソンに対しては割と解像度高く共感して見れました。
ただ、後半はヒロインの旦那アーサーに感情移入というか、同情というか、ある種の尊敬みたいな気持ちになりました。
「これはデート(僕は下心と捉えました)の映画ではなく愛を描いた映画」とパンフの中で監督は仰っていましたが、僕は「その愛は純粋で、下心は本当に無いんですか?」と強く問いたい!!!
問題は2回目の再会です。
そもそも、12年も音沙汰なく、自分と彼女がうまくいっていないからという理由で会いに行くのは「それは完全に下心じゃないんですか?」とヘソンに言いたくなります。
友達でも、幼馴染でも、大切な人でも、なんでもいいんですが、もし上記に当てはまるなら、電車の中であの立ち位置は絶対考えられないです。お互い向き合って、目線も合わせて(もしかしたら地下鉄の構造上仕方ないのかも知れませんが)バチバチに異性として意識してると言わざるを得ません。
普通は横並びで吊り革か、気を使いながら座るかですよ。向き合うなんてカップルしかしませんよ。
また、周りはカップルや夫婦しかいない、川沿いやメリーゴーランド辺りを歩きます。
また夫婦では乗ったことない遊覧船(もれなく乗ってる客は夫婦ばかり)にまで乗って、気持ち悪い表現かも知れませんが肉体的なデート(手を繋ぐ、くっ付いて写真を撮ったり、イチャついたり)はしていませんが、精神的なデートは完全に楽しんでいる様に見えました。
そして、初恋の相手、ヒロイン、旦那の3人でバーで話し合うデートのクライマックスですよ。
ここはこの映画に割と批判的な方々と同じになるので割愛します。
ただ、「あなたたち、結構エグいことしてるけど大丈夫?」とヘソンとノラには言いたくなりました。
少し脱線しますが、僕の好きな映画の一つ「星の王子ニューヨークへ行く」の劇中のセリフで「愛とは尊敬なんだよ」というセリフが、個人的には愛を端的に表現していると思い大変気に入ってるのですが、今回のバーでの2人は旦那を差し置いてあんな話をするなんて尊敬の欠片もなかったと感じざるを得ません。
そしてさんざん「デート」を楽しんだ後、最後は完全な別れを悟ってか旦那の胸を借りて泣くという所業。
僕はノラという女性が怖くなりました。
終始、優しさと寛容さで包み込んでくれるアーサーにはただただ尊敬しかないです。
寝言の件だったりラストシーンには大変悲しく辛くなってしまいましたね。
「泣きたいのは絶対に旦那の方だろ」と思ってしまいました。
本作において、純粋な愛を貫いていた人物はアーサーしか居ないように見えました。
ただこの映画はすごい芸術的(というと思考停止みたいで嫌なんですが、それぐらいしか思いつかず)でずーっと綺麗なんです。
ロケーション然り、人物描写からセリフ、俳優陣の表情まで、また主な登場人物も3人と、フォーカスする人物を絞り内情奥深くまで知れた映画で大変楽しむことが出来、監督の手腕には感服しかありません。(ただ共感出来たのは、男性陣だけでしたが)
また、冒頭のバーでの3人への憶測もある意味の伏線になって後のアーサーの寂しさを際立たせる、非常に上手い演出だなとも思いました。
余談ですが、僕はてっきり物語前半の様な事が起こり、そこから発想を飛ばしこの映画を作ったのかなと思いましたが、パンフを読んでみるとバーでの件を体験しこの映画を作ったそうです。なんか監督の度胸と傲慢さには天晴れです。(すいません決して悪気はなく、褒めてます)
恐らくというか、確実に監督が意図しない男性陣に自分と重ね合わせるという形で、自分には大変深く突き刺ささる映画になったので、結果は高評価です。
米国ニューヨークのバーで午前4時に男ふたり女ひとりがカウンターで談...
米国ニューヨークのバーで午前4時に男ふたり女ひとりがカウンターで談笑している。
男のうちひとりはアジア系、もうひとりは白人のよう。
女はアジア系。
アジア系のふたりは親密に話しているが、のこる男ひとりは会話に参加していないように見える・・・
といったところからはじまる物語で、映画は24年前に遡る。
韓国・ソウルに暮らす12歳の少女と少年。
ふたりは学業優秀で常にトップを争う仲。
だが、密かに想いあっている。
とは幼い恋愛感情だ。
しばらく後、少女の一家がカナダのバンクーバーに移住することになった。
そして12年後、
フェイスブックなどのSNSで過去の友人・知人が検索できるようになった。
バンクーバーからニューヨークへ移住した少女はノラという英語名となり、劇作家の卵だ(グレタ・リー扮演)。
母親との他愛ない昔の知人探しで、かつての少年ヘソンが彼女を探していることを知る(成長したヘソンはユ・テオ扮演)。
すぐさまSNSでの交流がはじまったが、劇作家としての芽が出るかどうかの瀬戸際のノラは、若手芸術家育成プロジェクトへの参加をきっかけに交流を絶つことにした。
ノラはプロジェクトで作家の卵アーサー(ジョン・マガロ)と知り合い、のち結婚。
ヘソンも別の彼女を見つけるが、10年近い交際の末に別れてしまう。
SNSでの再会から12年。
ヘソンは彼女との婚約破棄をきっかけにニューヨークを訪問して、ノラと再会することを決意する・・・
と展開し、24年前に時制が戻ってからは現在に向かって進んでくるオーソドックスな構成。
24年前の初恋が実るのか実らないのか・・・
ま、どうなるかはほぼほぼ予測がつく語り口で、そこに対する劇的な展開を期待する向きはガッカリかもしれない。
が、この分別をわきまえた大人の交流は、意外なほど心にしみる。
肝はノラの夫アーサーで、彼がノラに対して発する言葉のひとつひとつに納得できる。
みんなが夢見る物語では、ぼくは悪役だ。
君を愛しているし、君がぼくを愛していることは知っているが、不安なることもある・・・などなど。
ヘソンと再会したノラが、ヘソンの韓国人的魅力をひとつひとつアーサーに興奮気味に語るシーン、秀逸です。
ということで、24年の年月よりも、いまの生き方、それを肯定する映画で、過去の恋への執着とか成就とか、そんなものは幼い時分の自分のファンタジーだったってことを改めて認識する、ビターといえばビターな、まっとうと言えばまっとうな映画でした。
冒頭のシーンに名作の予感。しかし・・・。
最初の入りは好きだなー。赤の他人からすると、話題にしたくなる3人。ま、いずれも予想がハズレなところも良し。
ただ、この後の2人の今まで過去から繋ぐところが、どうしても耐えられなかった。このあたりはテンポ良くいって欲しい。
耐えられないついでに言うと、男性目線で観るか女性目線で観るか。これ結構大事な気がする。映画はニュートラルに描いているように見えて、国籍は違えどいち男性として理解し難い部分がある。リアルに寄せたことが仇になったような。
アーサーにはヘソンに少しでも似ている部分が欲しかった。
バーでアーサーに背を向けてハングルで話し続けるノラの態度には、正直その場には居ても立っても居られない。
なぜ最後の最後ノラはガン泣きした?理解はできるけど、それはナシよ。
追伸
英語力が日本人レベルで笑った。小さい頃1.2を争ったのに。韓国の方はもう少し英語ができるはず。
割り切れない過去とどう向き合うか
終盤に入るまでノラの気持ちを理解はできても共感まではできなかったため、あまり入り込めませんでした。しかし、ノラとアーサーとの生活が描かれ、二人が抱きしめあうラストシーンを見て、色々なものが腑に落ちました。
選べなかった過去と打算の中で関係を築いた現実の間では、どうしても前者が甘美なものに見えてしまうのは必然。しかし、その一方で前者を選ばなかったことには理由があり、今の現実を積み重ねてきたことにも理由はあるのです。
それらを理解した上で深夜のバーで想い出に酔う二人に寄り添い、ヘソンを見送った後のノラを優しく抱擁できるアーサーは、それはそれは強い男なわけです。12歳からほとんど成長していない男では相手になりません。
ノラとの再会の抱擁に戸惑っていたヘソンも、別れの際には自分からしっかりとノラを抱きしめられるようになっており、ニューヨークの数日で得たものは少なくなかったはずです。帰国してからの彼は、大人の男として、新しい愛を築くことでしょう。
ただ、これらの話を「イニョン」という言葉で説明することは欧米の方々には新鮮だったかもしれませんが、同じ東洋人としては馴染みがある概念であるため、そこまで心に強く残るものではなかったです。あと、12年という時間を一区切りとして普通に受け止めるのも干支の文化がある国の人間ならではのことなんですかね。アーサーは二人の関係を雑に「20年」と表現していましたし。
シランケド
アカデミー賞ノミネートで話題になっていた1本で、先行公開してたタイミングで行けずでちょっとずれ込んだタイミングでの鑑賞。
大人の恋愛でもしももたらればも何もない現実一直線の作品でヘンテコな恋愛作品が好きな自分とは相性が悪かったです。
24年前に子供の時にした初恋、12年前にパソコン上で再会した2人、そしてNYの土地で再会したノラとヘソン、そんな2人の初恋の終わりの物語ですが、
年齢設定はかなり疑問が出てしまうくらいには24年の月日がうまく表せていない気がしました。20代にしては歳取りすぎでは…と。
邦画では感じることはあっても洋画で感じることはなかったのでその点もちと残念でした。
2人がNYで再会してアーサーをほったらかして2人で過去話したり、前世やら何やらの話をしている時、お前らは一体何をしているんだ?というのが強く、2人で出かけたりしてもナヨナヨっとした会話の連続で乗れませんでした。
役者さんが悪いわけではないんですが、ノラにこれといった魅力が劇中一切感じられなかったのが今作の1番の欠点だなと個人的には思いました。
どこか高圧的で、アーサーもヘソンも振り回されっぱなしで、というか20年以上前の初恋の人を家に招いたり、一緒に飯食いに行ったり、2人で出かけたりとか、自己中すぎる行動にはずっと疑問符が頭の上に浮かんでいました。あとずっと薄着だったのが謎すぎました。
「秒速5センチメートル」とオチ以外は似ている部分があるのに、なぜこうもハマれなかったのか、アニメと実写の違いなんでしょうか。一考の余地があるなーと思いました。
縁や前世の話がアカデミー賞のどこかに刺さったのかなぁと思いました。ラストシーンは印象に残るものでしたが、そこまで過程が何とも言えず…。
現実とはこうだというリアルさに全編通してハマれなかったです。
鑑賞日 4/14
鑑賞時間 10:00〜12:00
座席 B-9
全58件中、1~20件目を表示