ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ

劇場公開日:

ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ

解説

グアンタナモ収容所に収監された無実の息子を救おうとするドイツの母の実話を映画化し、2022年・第72回ベルリン国際映画祭で銀熊賞2冠(主演俳優賞、脚本賞)を受賞したドラマ。

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロの1カ月後。ドイツのブレーメンに暮らすトルコ移民クルナス一家の長男ムラートは、旅先のパキスタンでタリバンの嫌疑をかけられ、キューバのグアンタナモ湾にある米軍基地の収容所に収監されてしまう。母ラビエは息子を取り戻そうと奔走するが警察も行政も動いてくれず、わらにもすがる思いで、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルト・ドッケに助けを求める。やがてラビエはドッケからのアドバイスで、アメリカ合衆国最高裁判所でブッシュ大統領を相手に訴訟を起こすことを決意する。

ドイツでコメディアンとして活躍するメルテム・カプタンが、元気で時に厚かましい主人公ラビエをユーモアたっぷりに好演。「グンダーマン 優しき裏切り者の歌」のアンドレアス・ドレーゼンが監督、ライラ・シュティーラーが脚本を手がけた。「ドイツ映画祭 HORIZONTE 2023」では「クルナス母さんvs.アメリカ大統領」のタイトルで上映。

2022年製作/119分/G/ドイツ・フランス合作
原題:Rabiye Kurnaz gegen George W. Bush
配給:ザジフィルムズ
劇場公開日:2024年5月3日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第72回 ベルリン国際映画祭(2022年)

受賞

最優秀主演俳優賞(銀熊賞) メルテン・カプタン
最優秀脚本賞(銀熊賞) ライラ・シュティーラー

出品

コンペティション部門 出品作品 アンドレアス・ドレーゼン
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(C)2022 Pandora Film Produktion GmbH, Iskremas Filmproduktion GmbH, Cinema Defacto, Norddeutscher Rundfunk, Arte France Cinema

映画レビュー

3.5母は強し!

2024年5月14日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

人種系の問題って他人事とは思えない。
だいたい観ていてしんどい。でも観ずにはいられない。だって『人』が決めたルールに基づいてるものなんて『人』によっていとも容易く変容してしまう。そんな掌返しの大変さを色んな国で幾度となく経験している自分の父親の話を聞いていると、今ある幸せが当たり前だと思うな、と心底感じるようになる。

でも、この作品は陽気なおばちゃんのおかげで重苦しくなくて観られた〜ε-(´∀`; )
最初は世間知らずなお気楽おばちゃんになんだかもどかしさを感じたりもしちゃったけど、年単位で時間がかかるこういった問題ではこの明るさがとっても大事なのね。おかんの心が折れそうになったりするとこっちまで辛くなる。
こーゆー『子を想う母』を見てると、人種も国も文化も歴史も何もかも違っても、母親だけは万国共通だなーと感じで安心する。
本当にあったこと、という話だけど、オカンの元に息子ちゃんと戻ってきて本当に良かった😭

ラビエおかんも弁護士ベルンハルトも本人と演者さんがそっくりやん(*´艸`*)よく見つけてきたなwww

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らまんば

4.5ミセス・クルナスはアメリカのショッピングモールにいそう

2024年5月12日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

前半はわりとコメディタッチ。
グアンタナモは『モーリタニアン』で知ったけど、いろいろ厳しめな印象。
そんな所に息子が収容されたってのに、観光気分で悲壮感もなくて、ラビエおばちゃんすぎ。

とはいえ、何年も拘束されているあの状況で終始ふざけてばかりもいられず、ちゃんと社会派ドラマ部分も描かれている。
人権派弁護士って、変に攻撃的であまり良いイメージは無いけど、ベルンハルトさんは良い弁護士だった。
けっこう好きな映画。

実話恒例のご本人登場、今回は写真だったけど、2人ともよく寄せてる。

デジタルタトゥーとはよく言ったもんで、米軍の女性兵士も20年経って、あの写真を蒸し返されるとは。

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コビトカバ

4.0普遍的な法と人道主義

2024年5月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

2022年。アンドレアス・ドレーゼン監督。9・11とアフガン紛争以降、アメリカ軍の収容所として悪名高きグアンタナモ。息子がそこにいると聞いたドイツ在住トルコ人の母親が息子を取り戻すために5年にわたって苦闘する。
まずは単純なアメリカの独善的行動やグアンタナモの非人道的扱いを批判するものではないところが特徴。ドイツにいながらトルコ国籍にこだわり、イスラム教原理主義に惹かれていた主人公の姿もしっかり描いている。だからこそまさに、そのような疑わしい人であっても推定無罪の論理によって、法と人道主義は犯すことはできないのだ、という逆説的な描き方になっている。だから、からっと明るい一直線のヒューマニズム映画ではないし、母親のユーモラスな言動がそこかしこに見られてくすっと笑っても、どこか重苦しさが漂っている。
ここで問題になっている法と人道主義は内容を問わない極めて形式的なものだ。日本語タイトルとはことなって、具体的な法の条文を巡って法廷で戦う展開にはなっていないし、人道主義の具体的なあり方として解放を訴える展開にもなってない。法は法であるというだけで、人道主義は人道主義というだけで、内容とは関係なく形式的に持つ意味があるのだ。要するに、普遍的法と人道主義をめぐる映画。

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文字読み

5.0トルコ人 ムラート・クルナス 悲劇の物語

2024年5月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

単純

知的

難しい

ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ
神戸市内にある映画館シネ・リーブル神戸にて鑑賞 2024年5月7日(火)
パンフレット入手

グアンタナモ収容所に収監された無実の息子を救おうとするドイツの母の実話を映画化

この作品は「年表」が詳しいです。最後にはドイツのメルケル元首相が登場します。

実際の事件の年表(パンフレットより)

2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件発生

2001年10月 ドイツ在留資格を持つトルコ人の造船見習いムラート・クルナス(19)が、フランクフルトからパキスタンへ出発、翌年の冬にトルコ人の妻を呼び寄せる予定で、イスラム教の信仰を確かにするためコーラン講座を訪れようとしていた。
アメリカがアフガンに侵攻。
ラビエ・クルナス(メルテム・カプタン)がブレーメンの警察に訪問。息子の情報を提供し彼にかけられている罪状を知る。検察はムラート・クルナスに対する訴訟手続きを開始。最初の容疑は「犯罪結社の結成」であった。

2001年12月 犯罪の容疑が不十分にも関わらず、ムラート・クルナスはパキスタンで逮捕され、地元警察からアメリカ軍に3,000ドルで引き渡される。アメリカがテロ容疑者の引き渡しに懸賞金を出していた。

2002年1月 ドイツの社会民主党・緑の党の連立与党は、ドイツ在住のムラート・クルナスというテロ容疑者がアフガニスタンの地でアメリカに拘留されていることを知る。ドイツの連邦刑事庁はFBIとの情報交換に協力する。
グアンタナモ湾収容キャンプ内の写真が始めて公開される。被収容者たちは、戦争捕虜としても拘束された民間人としても認められていない。国際法や憲法に反して、アメリカ政府らは彼らの法的地位を奪っている。
複数の報道機関が初めてラビエ・クルナスに接触し事件を報じる。嫌疑不十分なことや場所、拘束状況も知らずに、ムラート・クルナスは「ブレーメンのタリバン」と呼ばれた。

2002年2月 ムラート・クルナスがグアンタナモ収容所に移送される。ドイツではラビエがヨシュカ・フィッシャー外務大臣に手紙を出す。フィッシャーはムラートがトルコ国籍ということを踏まえ、アメリカはドイツを交渉相手として受け入れないと返答する。ラビエは国際赤十字とトルコ大使館にも支援を求める

2002年4月5月 ムラート・クルナスから初めての手紙が届く。そこには「僕が逮捕される根拠はひとつもない」と書かれていた。ラビエはブレーメンを拠点とする弁護士ベルンハルト・ドッケ(アレクサンダー・シェアー)の事務所を訪れ、弁護を引き受けてもらう。

2002年9月10月 ドイツの連邦憲法擁護庁と連邦情報局(BND)の3人の職員が、グアンタナモでムラート・クルナスを尋問する。彼らは、ムラートは不適切な場所におり、テロリストである疑いはないと、結論づける。アメリカもまた、彼は無実であり危険ではないと考えた。その時点でアメリカはムラートをドイツに保釈しようと試みるが、連邦首相府とドイツの治安当局の責任者に拒まれ、失敗に終わる。さらにムラートの在留資格をはく奪し、ドイツへの帰国を阻止する手続きを開始。その理由は、彼がドイツ国外に6ヶ月以上し、在留資格の更新を申請していなかったからである。こうした状況が明らかになったのは、数年後のことだった。
ベルンハルト・ドッケはドイツ国民に、この事件の状況や、とりわけアメリカが行使する権利欠如の違法性について、定期的に情報を提供している。
クルナス家は、いまだにムラートと個人的な接触を持てずにいる。

2003年 法的な進展がないまま1年が経過。自身の著書に書いているように、ムラート・クルナスは収容所で非人道的な拷問を受けた。こういった悪習の数々が公になるのは、それから2年後のことである。

2004年3月 ラビエ・クルナスとベルンハルト・ドッケは、他の被収容者の親族とともにワシントンを訪れる。その目的は、ムラートのようなグアンタナモの囚人が不当に拘束に対して法的な行動を起こす権利を認めるよう、公の行動やメディアへの出演を通じて、アメリカの政治や司法に圧力をかけることである。アメリカの人権団体と協力し、ラビエは最高裁で息子のテストケース裁判に参加する。

2004年4月 ラビエ・クルナスとベルンハルト・ドッケは、最高裁での公判に参加するため再びワシントンを訪れる。

2004年6月7月 2004年6月末、最高裁判所は、法的訴訟を起こす被収容者を支持し、ブッシュ政府を非難する判決を下だした。弁護士であるバヘア・アズミー教授が、アメリカの法廷においてムラート・クルナスの弁護を担当することになる。7月下旬、ワシントンの連邦地方裁判所に拘留の見通しや、調書の閲覧、面会を求める訴訟を起こす。

2004年10月 ベヘア・アズミー教授が初めてムラート・クルナスと面会。アズミーとドッケは、ムラートに対する申し立てを含む調書を受け取る。告発の中には不合理なものもあり、反証するのは簡単なものばかりであった。それにもかかわらず、グアンタナモの特別軍事法廷はムラートを'敵性戦闘員'に分類する。

2005年1月 連邦地裁判事のジョイス・ヘンス・グリーンが、グアンタナモでの拘留は違法であるとの判決を宣言。特にムラートのケースを取り上げ、「無罪を証明する証拠は無視されていた。逮捕状は発行されるべきではなかった」と述べた。アメリカは控訴を申し立てた。

2005年3月 メディアによって、ムラート・クルナスがトルコに送還されると報じられる。家族と弁護士はトルコに向かうが、誤報だと判明。ムラートは依然としてグアンタナモにいた。

2005年11月12月 ドイツで政権交代が起こる。ムラート・クルナスの事件に深く関わったフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー前連邦首相府長官が、連邦外務大臣に就任。
ブレーメンの行政裁判所が、ムラートの在留資格取り消しを違法と判断。
ベルンハルト・ドッケがアンゲラ・メルケル新首相に手紙を書く。彼女は返事の中で、保釈を支持すると約束する。

2006年1月 ムラートのドイツ移送のための独米交渉が始まる。

2006年8月24日 ムラート・クルナスはドイツ南西部ラインラント=プファルツ州にあるラムシュタイン米軍基地に降り立ち、家族と弁護士に迎えられる。

以降
保釈後、ムラート・クルナスは連邦議会の2つの委員会で証人尋問を受ける。連邦情報曲の調査委員会ではドイツが早期釈放を妨害したかどうか、国防委員会ではカンダハールにおいてドイツ陸軍の特殊部隊「KSK」の兵士から虐待を受けたかどうかについて。また欧州議会と米国議会から証人として質問を受けた。
ムラートに対する罪状や申し立てはすべては虚偽であることが証明され、ブレーメンの検察庁が開始した予備手続きは嫌疑不十分でうち切られた。

ムラートは現在まで、彼が被った不当な仕打ちに対する保証も公式謝罪も受けていない。
ムラート釈放に尽力した人々の多くは、以後もその仕事で活躍し続けた。
グアンタナモでの拷問の責任者は起訴されなかった。
ムラートと弁護士ベルンハルト・ドッケともに、学校の講演会や数えきれない程のインタビューで人権の重要性を訴えた。

現在ムラートはブレーメンに住み、3人の子供の父親である。青少年のためにスポーツを教えたり、言語・文化のメディエーターとして活動している。

監督 アンドレアス・ドレーゼン

感想
コミカルな母親ラビエが気になるが
息子のムラートはなんの罪もないのに逮捕されたり、テロの容疑者になったり、グアンタナモまで行って拷問受けたりとかなり残虐なストーリーではと感じます。

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大岸弦