コット、はじまりの夏

劇場公開日:

解説

1980年代初頭のアイルランドを舞台に、9歳の少女が過ごす特別な夏休みを描いたヒューマンドラマ。第72回ベルリン国際映画祭で子どもが主役の映画を対象にした国際ジェネレーション部門でグランプリを受賞し、第95回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートもされた。

1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みを親戚夫婦キンセラ家の緑豊かな農場で過ごすことに。はじめのうちは慣れない生活に戸惑うコットだったが、ショーンとアイリンの夫婦の愛情をたっぷりと受け、ひとつひとつの生活を丁寧に過ごす中で、これまで経験したことのなかった生きる喜びを実感していく。

本作がデビュー作となるキャサリン・クリンチが主人公コットを圧倒的な透明感と存在感で繊細に演じ、IFTA賞(アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞)主演女優賞を史上最年少の12歳で受賞。アイルランドの作家クレア・キーガンの小説「Foster」を原作に、これまでドキュメンタリー作品を中心に子どもの視点や家族の絆を描いてきたコルム・バレードが長編劇映画初監督・脚本を手がけた。

2022年製作/95分/G/アイルランド
原題:An Cailin Ciuin
配給:フラッグ
劇場公開日:2024年1月26日

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受賞歴

第95回 アカデミー賞(2023年)

ノミネート

国際長編映画賞  
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映画レビュー

4.5素朴な中に煌めきがある。思い返すだけで涙ぐんでしまう

2024年1月27日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

言うなればこれは素朴な物語だ。大家族の家長はギャンブルにうつつを抜かし、人に対する態度も最低。彼自身、己に愛想が尽きて、もはや開き直っているようにも見える。そんな多難な家庭に育った物静かな少女コットが、母の出産までの間、親戚夫婦の世話になることに・・・。きっと多くの観客は親戚夫妻を目にする瞬間、外見にほとばしる優しさと慈愛に心底ホッとし、ここからは人間の正の部分に目を向けた温かいドラマが始まっていくのだと予感するはず。現に夫婦とコットは次第に打ち解けあい、少しの言葉や表情だけで多くのものを察しあえるほどの愛情で結ばれていく。その過程を美しく彩る風土。光の角度。和解のお菓子。ポストまでのダッシューーー。やがて明らかになる過去も含め、本作は登場人物の内面を決しておざなりにせず、繊細に大切に描写を重ね、観る者の胸にジワッと感情を染み渡らせていく力がある。心のこもった贈り物のような素晴らしい作品。

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牛津厚信

5.0清冽なデビューを飾った主演キャサリン・クリンチは、シアーシャ・ローナンに続くアイルランドの超新星

2024年1月27日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

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高森 郁哉

4.5寡黙な少女の目を通して描く家族とは、親子とは

2024年1月27日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

1981年の夏、アイルランドの田舎町。育児放棄した両親の下で育った内気な少女、コットが、母親の妊娠を機に親戚の家に預けられることになる。コットを出迎えたのは子供がいないキンセラ夫妻。妻のアイリーンはケイトの髪を慈しむように櫛でとかし、夫のショーンは不器用ながらもコットと打ち解けようとしているのがよく分かる。

静かな農場、井戸、乳搾りetc、一夏、キンセラ夫妻と穏やかな時を過ごすうち、コットは初めて家族の温かみを体全体で味わうことになる。コットを演じるキャサリン・クリンチが瑞々しくて、少女の世界に自然に引き込まれていく。

なぜ、キンセラ夫妻はそこまでコットを可愛がるのか?夫妻の秘密とケイトの両親との対比によって、ままならない家族の有り様が浮かび上がる。ほとんど言葉を喋らないコットがそれに気づき、言葉にならない言葉を心の中で呟く時、誰もが涙を流すことだろう。

繊細さが全編に詰まったような本作は、主にドキュメンタリー映画をメインに子供の視点で家族の絆を描いてきたアイルランド人の監督、コルム・バレード。セリフの大部分がアイルランド語なのは、監督の実家では英語とアイルランド語が使われていたせい。コットに合わせて映画全体が静かなせいか、アイルランド語の響きが観終わってしばらく耳から離れない。

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清藤秀人

4.0静かな少女

2024年6月7日
PCから投稿

親に褒められるのがなんとなく照れくさくて嫌だった──というのがある。「おまえはできる子なんだから」と言われても、だいたい「そう言ってくれているんだな」ということが解るし、そもそもじぶんはできる子ではなかった。
だから心の中で「いや父さん(母さん)あなたは知らないだろうがね、おれはクラスでみんなからばかにされているんだ、父さん(母さん)が想像もできないほどみじめな子なんだ」と口には出さずに回答する。

機春秋を経て50代になったが何も成しえず離婚して低所得に生きているわたしを年老いた親はまだ「できる子」だと言ってほめるのだ。いったいいつできる子なんだろうね。

だけどもし親にdegrade=価値をおとしめられながら育っていたならどうなっていただろう。子供をdegradeしてはいけないのは常識だがそれを平気でやる大人がいて結局世の中には親に毎日degradeされながら生きている子供がごまんといる。

アイルランドの田舎、80年代初頭の設定。育児放棄な親に育てられた姉妹の一人が母親の妊娠を期に酪農を営む親戚に預けられる。そこで少女ははじめて人の愛情にふれるという話。

父親は飲んだくれで口からは嫌味か難癖か苦情しかでてこない。母親は辟易し厭世しながら台所でひとりで泣いているような受動タイプ、子沢山で家は貧困に支配されている。

コットはタイトル通りの静かな少女。意思をうしなったように何もしゃべらない。姉妹の中でも学校でも浮いた存在だった。
彼女が暫定里子として行った先は初老の夫婦がふたりで暮らしている。里母は慈愛に満ちコットを優しく迎え入れる。おねしょも叱らず、毎朝髪を梳き、新しい洋服を買ってあげる。

公民権運動の時代、南部を訪れた北部の白人が集落にいる黒人に声をかけると誰もがみな徹底してへりくだり、まともな会話にならなかったという逸話が残っている。白人の奴隷としてこき使われてきた黒人が、突如、君の身分はわたしと同じになったんだと白人に言われてもそれを実感できず、気分を害する態度をとれば何をされるかわからない──と警戒するのは無理からぬことだ。

ネグレクトの親から愛情豊かな親にあずけられたコットもそれと似たような状態だった。
人から優しくされたことのないコットの生硬が次第にほぐれ、自我が解放されていく様子が綴られる。
酪農家の父親は厳しいところもあるが恩愛があり、コットの寡黙に美点を見いだしてそれを褒め、またポストの郵便物をとってくる使い走りを日課に課す。コットはだんだんそれに夢中になる。息をきらせて取ってくると里父はそれを「前回のタイムを上回った!風のように速かったぞ」と言ってほめるのだ。

初めて人心地に触れたコットはすでに実家に戻りたくはないが、やがて時がきて引き戻される。コットは送ってきたふたりを──速く走ればどうにかなるかのように──走って追いかけ、里父の胸に飛び込んで「父さん」と言う。

どうにもならなくて胸がかきむしられた。

imdb7.7、RottenTomatoes97%と93%。

RottenTomatoesのコンセンサスは「脚本家/監督Colm Bairéadの驚くべきデビュー作である『クワイエット・ガール』は、小さな物語が大きな感動を残すことができるということを、見かけによらずシンプルに思い出させてくれる」というものであり、アカデミー国際長編映画賞(旧外国語映画賞)へのノミネートをはじめ多数の賞をとった。

Colm Bairéadの来歴によるとほとんどドキュメンタリーかテレビの仕事でこれが初長編映画。
映画ではアイルランド語が使われ、wikiによると『アイルランド語映画のオープニング週末興行収入記録を塗り替え、アイルランド語映画史上最高の興行収入を記録した。』とのこと。

英題The Quiet Girl、原題(An Cailín Ciúin)はその「静かな少女」をCatherine Clinchという映画初出演の少女が演じている。
オーディションするためにアイルランド語学校でその公募をしたそうだがプロデューサーたちはリールを見た途端すぐにこの子だと判断したという。
端正だが表情を制限されたような屈託があり主題にぴったりの子だった。

邦題「コット、はじまりの夏」には齟齬がある。どちらかと言えば夏ははじまらない。「コット、はじまりの夏」と言われたらひと夏の体験のような甘酸っぱさのある話を想像するが子供の生活環境を冷徹に描いた話と言える。

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津次郎

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