12日の殺人のレビュー・感想・評価
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無駄が多い駄作。この映画の制作意図は何なのか?
冒頭にこれは未解決事件である、といきなり暴露してはいたが、まさかこんな終わり方とは?仮説を立て、想像を交えて犯人像を描き出すと思っていたので失望した、というか驚愕した。いくら恋愛に奔放なフランス人であるとは言っても、ここまで自由恋愛を重ねる被害者の女性には余り同情は感じられない。警察の捜査は地道な努力の積み重ねで、そしてそれが報われないことも多々あるというのは理解出来るが、それに我々を付き合わせないで欲しい。事実に基づいたフィクション、とのことだが刑事の人間関係(誰が離婚するとか、趣味が自転車だとか、誰かの親が死んだとか)も単に時間を無駄に潰しているように感じる。無駄なエピソード、不要な容疑者が多すぎて無駄に長い駄作。そして一体この邦題は何なのか?
2013年に起きた「モード・マレシャル殺人事件」を元にしたフィクション
12月の殺人
兵庫県尼崎市の映画館塚口サンサン劇場にて鑑賞 2024年6月1日(土)
パンフレット入手
原題「LA NUIT DU 12」
イントロダクション
フランス警察が捜査する殺人事件は年間800件以上だが役20パーセントは未解決、これはそのうちの1件だ。
SYNOPSIS
2016年10月12日夜、グルノーブル署で引退する殺人捜査班の班長の壮行会が開かれていた頃、山あいのサン=シャン=ド=モーリエンヌの街で、21歳の女性クララ(ルーラ・コットン=フラピエ)が、友人たちのとのパーティーの帰り道、突如何者かにガソリンをかけられ火を放たれた。
翌朝、無残にも彼女は焼死体で発見される。すぐに後任の班長ヨアン(バスティアン・ブイヨン)率いる新たな捜査班が現場に駆けつけ、クララが所持していたスマートフォンから、彼女の素性が明らかになり、ヨアンたちはクララの自宅を訪問した。母親に彼女が殺害されたことを伝えるか、ヨアンはその時ふと目にしたのは生前のクララがかわいいネコちゃんと共に写った写真が頭から離れなくなる。捜査会議の席で、ヨアンの相棒のマルソー(ブーリ・ランネール・ベテラン刑事)が、ジャンヌ・ダルクのように火あぶりにされるのはいつも女だと呟く。
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クララの親友のナニー(ポーリーヌ・セリエ)の協力もあり、クララと交際歴があったバイト先のウェスリー、ボルタリングジムで知り合ったシェール。そしてあろうことか彼女を「燃やしてやる」というラップを自作していた元カレのキャヒなどの男たちが疑惑の対象になっても消えていった。だが男たちは一様にして彼女が奔放な女性だったとことを示唆している。
「彼女は恋人なんかじゃない」「ただのセフレだった」
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ある日匿名の人物から、クララに火をつけた際のライターと思しきものが署に届き、チームはどよめく。早速犯行現場で張り込んでいると、ある人物が現れた。それは近所の菜園小屋に住む無職のドニで、彼は今までの捜査では明らかになっていない男。クララと関係を持っていたという。
こうしてクララの奔放な男性関係が次々と明らかになるなかで、ヨアンはナニーに「なぜドニのことを知らせなかったのか」と迫る。ナニーは涙を流しながら「クララを尻軽女のように見ないでほしい、彼女が何か悪い事をしたのか?」
なぜ彼女が殺害されたのか、それは女の子だからだと、ナニーはヨアンに詰め寄った。
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ヨアンはマルソーとは対照的ににほとんど感情をあらわにしない。そんな彼が激高するのは、捜査班の同僚がクララを好きものだと喋ったときだ。彼は同僚からご立派な善人だと揶揄されるが、その正義感や男社会への違和感を募らせている。
ヨアンは捜査や生前のクララのことを考えて夜も眠れない日々が続いた。一見するといつも冷静沈着なヨアンがそれでも何とか精神の均衡を保っていたのは、非番の時に自転車競技場で自転車を走らせることであった。
一方、ついカッとなる同僚のマルソーは夫婦関係に苦しんでいた。そんなマルソーを自宅に招くのであった。
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パンフレットに記載がないが、マルソーの夫婦関係について追記します。
マルソーの妻との間に子どもが生まれない。病院で調べてみると二人ともは全くの健康であることが分かっている。ある日妻が外出して、他の男と関係を持ってしまい、妊娠してしまったのだという。
妻からは離婚を求められているが、自分は今も愛しているのです。
世の間はなんて不平等なのだと嘆いている。
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さらに捜査はつづくクララの殺害場所に、なぜか血のついたTシャツが置かれていたのだ。DNA鑑定から、DVで逮捕歴のあるヴァンサン(ピエール・ロタン)のものだということが分かった。彼もクララと交際歴があった。結局彼にもアリバイがあったのだが、ヴァンサンのあまりももふてぶてしい態度に怒りが収まらくなったマルソーは、彼の家に尋ね暴力をふるってしまい、異動となって、捜査班も解散となった。
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3年後、ヨアンは女性の判事(アヌーク・グランベール)に呼び出され、捜査の再開を希望される。その間もずっとこの事件のことが頭から離れなかったヨアンは、新たなチームを作り再捜査に乗り出すことになった。男所帯だったチームに、女性捜査官のナティア(ムーナ・スアレム)が加わり、クララの三周忌に彼女の墓で張り込みをすることになった。
隠しカメラに映っていた男がいた。チームは活気づいたが、犯人ではなかった。
「フィクション」である、と流れる
追記
2013年に起きた「モード・マレシャル殺人事件」を元にしたフィクションだが未解決事件となっている。
監督 モード・マレシャル
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感想
作品では「自転車競技」の映像が何度も流れているので、犯罪と繋がっているのかと違和感を抱きながらの鑑賞だったと感じています。
フランスの警察官たちの日常生活が見られたことは良かったと思います。
そして未解決事件に関わる警官たちの思いが伝わってきました。
フランス人は解らない
男女平等社会が日本より格段に進んでいるフランス社会、男も女も幸せそうに見えないのが恐ろしいね。15人の少年が無人島に漂着し、大人の束縛から解き放たれて自由に暮らすとしたら、蝿の王の世界になるか、十五少年漂流記の世界になるか。どうも蝿の王のような感じがする。後味が悪い。儲けようなんて気はさらさらないとは思うけど、なんのためにこの映画を撮ったのかその意図すらわからない。フランス人は解らない!
「未解決」に着目
帰宅中に突然現れた何者かに火をつけられ焼死する大学生のクララ。度々登場する黒猫が不穏な未来を予知しているかのようでした。また、事件と同時に男女の社会問題にも触れています。班長のヨアンと相棒のマルソーを中心に地道に調査。実在の未解決事件に終始没頭です。
刑事たちのドラマが見応えあり
若い女性がガソリンをかけられて生きたまま焼き殺されるというショッキングなシーンから始まる本作。フランスで実際に起きた事件を元にしているというから、何とも衝撃的である。
映画はこの事件を書いたノンフィクション小説をベースに敷いているということである。ただ、物語に登場する刑事や容疑者等は、必ずしも事実に即しているというわけではなく、そこには脚色が入っているらしい。
しかし、それでもかなりのリアリティが感じられる映画だった。カタルシスを極力排したストイックな作劇が、事件の悲劇性をヘビーに物語っている。
逆に、エンタメだと思って観てしまうと物足りなく感じる作品かもしれない。事件捜査の過程を綿密に盛り上げるのではなく、事件の謎に翻弄される刑事たちの姿に重点を置いた作りは、サスペンス的な面白さを失している。
例えば、劇中には何人か有力な容疑者が登場してくるが、ヨアン率いる捜査チームの追及が淡泊に映ってしまい、観てて歯がゆく感じられてしまった。また、被害者であるクララの家庭事情や交友関係といったバックストーリーも形骸的で、捜査の中心となる部分が完全にぼかされてしまっている。こうした作りからも分かる通り、本作は本格的なミステリーとは言い難い。
とはいえ、捜査の舞台袖で描かれる刑事たちの人間ドラマが中々魅力的で、これがあることで面白く観れたのも事実である。
捜査の指揮を務めるヨアンは冷静沈着で真面目な男。ユーモアには欠けるかもしれないが、時折見せる人情味あふれる表情が魅力的で、事件に真摯に向き合う姿勢にも好感が持てた。
また、ヨアンの相棒となる中年捜査員マルソー、後半から登場する女性捜査員ナディアのキャラクターも中々に良い。マルソーは家庭内に問題を抱えており、それが原因で捜査にトラブルを持ち込んでしまう。ナディアは本作のテーマを語る上では欠かせないキャラクターであろう。男性社会における女性の生きづらさを象徴するキャラクターとなっている。
監督、脚本は「ハリー、見知らぬ友人」のドミニク・モル。シュールでブラックなコメディだった「ハリー~」に比べると、まったく毛色の異なる本作だが、人間の深層心理に潜む”嫉妬”だったり、”悪心”といったイヤな一面をフィーチャーした点は共通している。
特に、本作では”嫉妬”という言葉が度々登場してくるのが印象的だった。今回の事件も”嫉妬”からくる私怨が原因だと思うのだが、この”嫉妬”という感情は非常に厄介なものである。恋愛関係や仕事等で、人はどうしても他者と自分を比較してしまいがちになる。そこで生まれる”嫉妬”は時に人を狂気へと走らせてしまう。
ヨアンは常にポーカーフェイスで感情を表に出さないように自制している。時折ロードバイクでトラックを周回している姿が映し出されるが、そうしてストレスを発散することで、どうにか心のバランスを保っているのだろう。”嫉妬”や”悪心”と無縁そうに見える彼だが、そんな彼でもやはり自分の心の弱さには勝てないのだ。そこに人間の本質を見てしまった。
警官から見た事件の再現ドラマ
2016年10月12日深夜、帰宅途中の女性クララが突然ガソリンをかけられ火を着けられて殺されます。事件を捜査する警察、班長になったばかりのヨアンが中心となります。そこからは捜査官の目線での展開となります。親友のナニーへの聞き取りから、クララの交友関係を聞き出し関係者に次々と事情聴取していきます。特徴的なのは、関係者がクララについて証言しますが、回想シーンや想像でのクララは一切登場しません。まさに事件の再現フィリムというつくりです。捜査する警官にこの事件がどのように理解されていくのかを伝えています。事件発生時には、火を着けられ殺されてしまうクララへの同情と犯人への怒りがあります。しかし、クララは数々の男性関係があり、惚れやすく尻軽女性でした。そのことが明らかになることで、捜査官達の意識に変化が起こります。よくある痴漢等被害女性に対して、被害者女性にも非があるというような雰囲気となります。あくまでも犯罪を犯す側に問題があるはずがゆらいでいきます。関係した全ての男性が疑えてきます。しかし、どれも決定的な証拠はありません。これにより迷宮へ陥っていく捜査官この展開を淡々と映し出しています。未解決事件を主軸に描かれるミステリーというより、凄惨な事件を前にして動揺したり、犯人に対して憤りを感じたり、偏見をもってしまうという人間の本性を現していると思いました。事件解決への妨げが証拠不足や捜査不足ではなく人間性にも影響を及ぼすこともあるという一つの事例のように思いました。
人生の不条理がテーマなのだろうか。実事件での被害者(同じく生きたま...
人生の不条理がテーマなのだろうか。実事件での被害者(同じく生きたまま焼かれたのだろうか?)も浮かばれないだろうなあ。
サスペンスかと言われると…?
単純に事件を解決していく
サスペンスやミステリーというわけではなかった。
事件そのものより、
事件を捜査する捜査官の心情や
捜査官同士の関係性に重きをおいて描かれていて
その視点が面白く興味深くみることができた。
個人的な感情が捜査に影響を与えることは
実際あるだろうなとも感じた。
結局、事件が解決するわけではないが
サスペンスやミステリーではなく
ヒューマンドラマとしておもしろい作品だった。
事件がどのようにして未解決になっていくのかを描いた映画
予告やチラシで完全にミスリードしていて、ミステリーサスペンスではないなあというのが率直な感想です。
12日の夜に起きた殺人事件がいかにして未解決となっていく様を
事件の捜査状況を詳細に描いています。
ミステリーサスペンスときたら、事件がどのように解決されるのか、犯人を特定するのかが見どころだと思うのですが
そうではなく、どのように未解決になっていくかが、この映画の視点ですね。
新しいと思いました。
しかしながら、ミステリーを期待した方は大空振りな気がしますね。
ポスタービジュアルの女性、クララはほんのちょっとしか登場しないにもかかわらず、
聴き取り捜査が進むに連れて、人物像が浮き彫りになっていくのは、すごいと思いましたし、怖いとも思いました。
かなりやんちゃな女の子だったようで、そりゃあ事件に巻き込まれてもおかしくないよな〜とも思いました。
出てくる容疑者の男たち、全員怪しいですからね。それもどうかと思うくらい怪しいですよ。
でも特定はされないんです。決定的な証拠が何ひとつないんですね。
現代において、殺人を犯して犯人の特定ができないことなんてあるのか!?と不思議に思いつつ
こうやって未解決事件化していくという、やるせなさを感じました。
主人公の 刑事、ヨアンとマルソーの関係性がすごく良くて、
お互い本音でモノを言えるって素晴らしいなと思いました。本当の親友とはこういう関係性なのでしょう。
というわけで、新たな視点のミステリー作品でした。
10月12日の深夜、仏国グルノーブルで、女子大生クララが友人宅から...
10月12日の深夜、仏国グルノーブルで、女子大生クララが友人宅からの帰宅途中に何者かに火をつけられ、その翌朝、焼死体が発見された・・・
といったところからはじまる物語は、実際に起こった事件で、本件は未解決のままであることが冒頭示されます。
なので、謎解きミステリー、犯人逮捕で溜飲を下げるということはない。
グルノーブル署では、ヨアン班長(バスティアン・ブイヨン)のもと、関係者への聞き込みから調査を開始。
浮かび上がってきたのは、被害者クララの奔放といってもいい男性関係だった。
クララの親友は「彼女は惚れっぽかっただけ」というが・・・
映画を観ていると、警察陣の調査は地道で手堅い。
日本の2時間サスペンスなら、犯人逮捕と相成ること請け合い。
だが、捜査線上に次々と浮かんでくる被疑者は、これまた次々と消えていく。
さて、そういう捜査の経緯を観ることになる観客は、心のどこかで、「この被害者、奔放な男性関係で、殺されても仕方がないかもなぁ」などといった不謹慎な考えが脳裏を横切る。
これこそがドミニク・モル監督が意図していたところではありますまいか。
観ている観客が犯人・・・
無意識のうちに犯人の立場になってしまう。
怖い、怖い。
警察の捜査むなしく、事件はお蔵入り・・・
だが、新任の女性検事(公判前の調査が仕事)が、事件後4年経って、捜査再開をヨアンに命じる。
まもなく、事件と同じ10月12日を迎えるのだ。
犯人は、必ず動き出すはず。
事件現場と被害者の墓に監視カメラを設置せよ、と。
それぞれのカメラには二組の人物が写っていた・・・
事件解決へと動き出すかに見えたが、冒頭に示されたとおり、事件は未解決。
事件の波紋は広がるが、被害者遺族は広がる波紋の中心に居続ける・・・
冷徹ともいえる視点で描かれたミステリー/サスペンス映画。
先に観た『落下の解剖学』にも通じる人間観察。
フランス流ミステリー/サスペンス映画の醍醐味を堪能しました。
賞を取る作品なのかいまいちわからなかった。男社会としての形状の社会...
賞を取る作品なのかいまいちわからなかった。男社会としての形状の社会の中にいる主人公。
赤いジャンパーの女メインビジュアルが印象的。警察の捜査と捜査員たちの淡々とした日常のリアル。
ある夜、生きたまま女性が焼死する事件が発生。
警察の殺人捜査班に新任の班長が就任。
事件の捜査は進み、容疑者が数人浮上するが、逮捕に至らないまま日々は過ぎていく。
やがて、その事件は”未解決事件”となり、捜査班の刑事たちの日常生活にも重くのしかかる。
フランス製のスリラー映画で、いわゆる通常の殺人事件もの、謎解きや犯人探しものとは一線を画し、犯人逮捕のカタルシスは描かれない。
犯人目線の真相エピソードも無い。
しかし、それが現実かもしれない。
赤いジャンパーの女性の姿、ポスターのメインビジュアルが強烈な印象を残す。
女性は、いつも被害者。
加害者と捜査員はみんな男性、というようなセリフが象徴するように、本作では性別を強く意識した内容になっている。
班長こそ男だが、終盤で就任する判事と女刑事が大きく物語に影響する。
密着取材したドキュメンタリー風
冒頭で宣言された通り事件は結局未解決、この映画が描いたのは犯人探しのミステリーではなく、事件を巡る人々のノンフィクション風人間ドラマだった。
新任の主任ヨアンとベテランのマルソーが軸となっているが、どこかの警察署の刑事たちに密着取材したドキュメンタリーのよう。
オフィスはむさ苦しい男の巣
帰宅できずに署のソファで寝るとか、オフィスの机に食材を並べて男ばかりのミーティング件夕食は、フランスパンをテーブルに直においてみんなで手でちぎって食べるとか、大雑把だがチーズやワインがあってさすがフランス人
新人刑事を手荒くいじる刑事たち、残業当たり前しかも手当を請求してないって、フランス人のイメージと違う。仕事そっちのけで家庭問題に悩んでいるマルソー、結婚に対して異様に嫌悪感を出すチームの刑事、ヨアンとマルソーの、トイレでおしっこの飛沫を飛ばすな、という会話には、ここまでドキュメンタリー的じゃなくてもいいのにと思った
ヨアン曰く、刑事にはなぜかこだわらずにいられない事件がある
彼の場合は10月12日夜におきた、少女殺害事件がそれ。生きたまま焼かれた彼女の交流関係を調べるうちに彼女の数多くのセフレが容疑者として浮上するが、どいつもこいつもクズに近い男たちで、クズっぷりがバラエティーに富んでいる。彼ら全員怪しいだけで結局シロ。捜査は行き詰まりそのまま塩漬け。3年後に判事の協力を取り付けて再捜査するが犯人を特定することすらできない。結局迷宮入りとなる。
3年後には、署には女性刑事がいる、しかも優秀
3年後の事件の夜に事件現場の防犯カメラに映ったのは、被害者の両親の姿。音声無いが倒れ込んで慟哭する母親の姿がやりきれない
時の流れもドキュメンタリーのようでした。
かわいいうちの娘が惨殺された母の取り乱しようが気の毒すぎて見ていられなかった
その上、みだらな女として世間に知れ渡り嫌悪と好奇の目を向けられる
少女の親友が泣きながら、クララが殺されたのは女の子だったからよ、と言ったのがひりひりする。犯罪を犯すのも捜査するのも男ばかりと、新人女性刑事も言ってたっけ
ヨアンがひたすら自転車を走らせるのは、ストレスの解消と自身の思考のためでしょうか
考えながら公道を走るのは危ないかも
「彼女が殺された理由を私は知っている。それは女の子だから」と親友の女の子は泣きながら言った
未解決事件の話だから解決しない。ただ事件に女性判事が関わり、新人の女性刑事ナディアが事件後2年たってチームに加わったことで少しずつ風穴が開いてきた。
何も変わっていないといえばそうかもしれない。でも主人公も彼女達と出会い先輩の刑事から花の写真を送られて変化していった。同じ所をぐるぐる回るのでなく、自然の中でサイクリングするようになった。
男だけの世界、加害者も男、捜査する側も男、男の世界の中でぐるぐる回る異常さと息苦しさに気がついていく。
こういう刑事ものもあっていいなと思った。新しい!
刑事が殺人犯を突き止める為、多くの人に聞き取り調査をする会話劇。 本年度ベスト級。
本作の上映10分前まで若葉竜也さんのタイムループ系の作品を観ていたので心の準備もままならずに鑑賞。
そんな状況に不安はあったけど、何とか鑑賞する事が出来た(笑)
本作の監督の前作のフランスの山奥で女性が殺された作品が面白かったので鑑賞。
本作は終始会話劇って感じで前作とは違った意味で楽しめた感じ。
ある女子大生が深夜、何者かに殺され2人の刑事が犯人を捜しだそうとするストーリー。
刑事が殺された女子大生の知り合いに聞き取り調査をして行く展開。
刑事が怪しいと思われる人物を犯人にしようと早く事件をクローズさせたい感じがちょっと恐ろしい。
どこの国の警察も怪しい人物を犯人に仕立て上げようとする感じに考えさせられる。
本作は実話ベースの作品との事で、犯人が解らず迷宮入りするんだけど、映画と言うことで意外性のある犯人だったとか一捻りして欲しかった感じ。
刑事が自転車に乗って競技トラックを走っているシーンが散見されたけど何の意味があったのか?
解りませんでした( ´∀`)
【"男と女の間の溝”21歳の女性が夜中帰宅途中に焼殺され、グルノーブル署の殺人捜査班が動き出す。今作は男性社会の警察と事件解決にのめり込んで行く刑事たちの姿をスリリングに描いたサスペンスである。】
ー 冒頭、仏蘭西警察が捜査する殺人事件は年間800件以上。その2割が未解決である。これは、その1件だ。とテロップが出る。-
◆感想
・冒頭のクララが何者かにガソリンを掛けられ、ライターで火を付けられ生きたまま焼死するシーンは衝撃的だ。
ー 故に、グルノーブル署のヨアン刑事や、同僚のマルソーは犯人検挙に全力を挙げて行く。犯人がナカナカ捕まらないストレス、苛立ちを募らせながら・・。-
・捜査を進めるうちにクララの奔放な男性関係も明らかになって行く。ヨアン刑事たちは署に容疑者の男達を呼び出し尋問するが、決定的な証拠は出ない。
ー 更に焦燥感を募らせていくヨアン刑事や、同僚のマルソー。ヨアンは競輪場で自転車を漕ぐ事で精神の均衡を保っているが、(二十日鼠のようにも見える・・。)マルソーは妻との離婚問題も抱えているため暴走捜査をしてしまい、自ら捜査班から抜けてしまう。-
・クララが付き合っていた男達が、クララに言及する際に、”彼女とは身体だけの関係だ。”などと、シニカルな言葉を発するシーン。
ー クララの親友ナニーだけが、”彼女は尻軽女じゃない。彼女が何か悪い事をしたの?”と涙を流しながら、ヨアン刑事に話すのである。
ここも、"男と女の間の溝”を描いたシーンである。-
■犯人が見つからないまま、3年が過ぎる。マルソーは異動し捜査班も解散しているが、ある日新任女性判事ベルトランから呼び出され、”もう一度、捜査を再開しない?調書も良く撮れているし。”と言われ、同じく新任女性刑事ナディアと捜査を再開するのである。
マルソーからは、突然青い花の写真が送られてくるが、これは”女性の力を借りる必要がある。”と私は解釈した。
・ヨアン刑事とナディア刑事は、クララの墓に隠しカメラを取り付ける。そして、そこに写っていた捜査線上に上がらなかった男が、五体投地をする姿。
ー 冒頭、”この事件は未解決だ。”とテロップで流れていたので、犯人ではないだろうと思いながら観ていたが、その男は精神を病んでいた事が分かった時の、ヨアン刑事とナディア刑事の無念そうな顔。キツイよなあ。-
<ラスト、ヨアン刑事はマルソーにメールをする。”外に出てみるよ。”
そして、ヨアン刑事は競輪場ではなく、晴天の山道を立ちこぎで登って行くのである。”峠は未だ先だな。”と呟き乍ら・・。
今作は、殺人事件の捜査を描く中で、様々な”男と女の間の溝”が描かれるスリリングなサスペンスである。
そして、中盤から登場した新任女性判事ベルトランと新任女性刑事ナディアの存在が、行き詰まっていた捜査に活路を開く過程を見ていると、男性社会の弱さ、脆さを、女性が加わることで、乗り越えて行くのだろうな、と思った作品である。>
警察24時
みたい、オーソドックスな造りで凄く観易い。本当の事件じゃあこういった結末を迎えるものの方が多いんだろう、予算が無くて防犯カメラ止まりっ放しとかありそう。刑事たちはマシンじゃないので日々消耗、すり減らしていく、そんな二人は退職した事で、また公道に出られた事で少しは救われたのだろう。
「落下の解剖学」と真逆の部分が興味深い。いじくりのない手法とか、声のある音楽の多用とか、ラストも観客に委ねるというより誰でも納得するしかないというか・・・
フランスで高い評価を得ている映画
この映画を最後まで楽しむことができた。フランスでは、随分高く評価されたようだ。きちんと細部まで作りこまれていたからだろう。これまで知らなかった彼の地のこと;
一つは、殺人事件が起きた時、警察が担当する場合と、憲兵隊に任せる場合がある。都市部は警察、周辺部では憲兵隊。警察の担当になったのは、あの美しいグルノーブルの都市部と周辺部のボーダーの辺りで事件が起きたということ。入れ子の国だから、内務省の管轄する警察の事件であったとしても、国防省直下の憲兵隊も横目でみていることになる。例外も多いのだろう。ある種の緊張感がある。
美しい女子大生クララが焼死した事件そのものは、昇進したばかりのヨアンとベテランで家庭に不安のあるマルソーが活躍したが、迷宮入りし、捜査チームも一旦解散した。フランスでは、年間800件に及ぶ殺人事件のうち、2割が未解決とか。
ところが、クララの3年目の命日を前にして、予審判事からヨアンに呼び出しがあった。これが、二つ目のポイント。もう日本では、とうになくなってしまった予審判事の制度があるのだ。日本だと、美しい検事が活躍するドラマはあったが、法廷外で判事が出てくるなんて。予審判事には、捜査の指揮権がある。実際、資料をよく読みこんでおり、捜査の方針をアドバイスして予算を工面する。その再捜査の過程も非常に魅力的だった。あらたなキャリア出身の捜査員も投入される。捜索する警察と、本来ならば裁判をすればいい判事が交錯して捜査が進む。そうしたところがフランスで評判を呼んだ背景か。
不思議なことに、フランスと日本の警察制度には共通性がある。東京とパリには、警視庁があり、パリの方は最近変わったみたいだけど。日本の警視庁の捜査第一課長はキャリア出身でないこと。幕末、フランスの制度が導入されたことが関係しているのか。
自転車の好きなヨアンがベロドローム(競技場)でのルーティンの訓練から、チームを去ったマルソーのアドバイスに従って、ツール・ド・フランスに出てくるような山道に挑戦するところがよかった。その昔、ビートたけしがドラマ「張込み」で、ベテランの巡査部長を務め、若手エリート警部の緒形直人と共演したことを思い出す。女性ヒロインの鶴田真由が魅力的だったことも忘れられない。
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