劇場公開日 2021年9月10日

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「喪失と再生の物語」ムーンライト・シャドウ R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0喪失と再生の物語

2024年5月19日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

少し難しさのある作品。
失恋を経験したことのある人なら、失恋というのは一つの死だと思うかもしれない。
それが失恋でなくても、実際にその人が亡くなってしまえば、それはもちろん言葉通りだが、もう何もできないということが辛さに輪をかけるのだろう。
この物語の「喪失」はそうして起きてしまった。
その「再生」を「死者との邂逅」という奇跡的な出来事によって叶えようとしたのがこの物語の目的となっている。
ミステリアス感満載の登場人物ウララ。彼女が案内人となり、満月の明け方のまづめ時に死者と邂逅できるという「月影現象」にかけてみるふたり。
ヒイラギのいつもの居眠りによってヒトシがユミコを送っていく途中でふたりが交通事故死したことが、ヒイラギの自責の念となっている。
彼は当初月影現象に参加しないと言った。
しかし当日、邂逅できたのはヒイラギで、サツキには鈴の音だけしか聞こえなかった。
作品の描き方の特徴に、感情をストレートに表現しないことで、登場人物たちの考えていることがよくわからないようになっている。
これがこの作品の難しさの要因だろう。
なぜサツキがヒトシと邂逅できなかったのか?
それはおそらく、サツキが彼がいなくなったことを実感できていないし、別れる決心をしていなかったからだと推測した。
そして、最後にサツキは一つの答えを導きだす。新しい人生の歩みをし始めることだ。
「私はここから離れる。止めることのできない時間の流れがある。また会える人、二度と会えない人」
「幼かった当時の私と、当時の彼はいつもそこに一緒にいる」
サツキが腹を決めたとき、見えたヒトシ。
奇跡は、自分の考え方ひとつで起きる。そこに至るまでの苦しみをウララは「風邪」に例えた。「人生で起きた風邪」
ヒイラギはユミコの服を毎日着て、そうすることで自分の心の中を確認して、そして受け入れることができていたのだろう。それが彼が邂逅できた理由だ。
サツキも感情を話さない設定なので、そこにあるはずの「なぜ」が登場しないことで作品が難しくなる。
何度も彼女の走るところが出てくるが、それは過去に戻りたい衝動であり、何もなかったことにしたい、または忘れたいという葛藤だ。
サツキの感情を行動で示すことがこの作品が表現したかったことだろう。
しかしその裏にあるご都合主義的なプロット。これを良しとしない視聴者も相当数いるように思う。それを難しさによって中和しようとしたように感じてしまうのだ。
タイトル通り、最初にあるのが「月影現象」
その奇跡は死者との邂逅。そのために行われる謂れについてのトーク。
二組のカップルとその相違。
そして鈴というありがちなアイテム。
感情表現しない登場人物たち。特にミツルの話を聞きに集まった人たちの顔にはどこか不自然さを感じた。当然そのように設定されているのだろう。
ミツルの世話人のウララは一般的な人物だろうが、黙々と、または上の空でパンを食べる二人には、彼女がいつ帰ったのかわからなかっただけなのだろう。画面上突然現れたり消えたりしている。
それを第三者的視点で撮るので……そう見てしまう。
しかし多少考えることができたので、良しとしよう。

R41
やきすこぶさんのコメント
2024年5月20日

すみません、正直なところこの作品の記憶がほとんど残っていません。
R41さんレビューを読んで、なんとなく思い出しています。
自分のレビューを読んでも内容が全く分からないので、当時も大して理解できていないのだと思います。

やきすこぶ
bionさんのコメント
2024年5月19日

原作が持つ言語感覚が、生かされていなかったのでは。
そんな記憶があります。

bion
ノブ様さんのコメント
2024年5月19日

いま観たらまた違うのかも⁉️と、
当時は難しかった記憶です。

ノブ様
Bacchusさんのコメント
2024年5月19日

そうなんですね…私は原作を知らずに観賞しましたが…私には難しかったです。

Bacchus
タイガー力石さんのコメント
2024年5月19日

共感コメントありがとうございます😊

タイガー力石
りあのさんのコメント
2024年5月19日

共感、コメントありがとうございます。
確かにそうですね。
難しさが魅力の作品もありますね。
文学的というか、鑑賞者の捉え方に任せるというか、深さを感じる作品ってそういうのありますね。
ちょっと苦手ですけど。

りあの